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Vol.56 TAKURO WEBインタビュー

4月の日本武道館3デイズ公演にて大団円を迎えた"GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2016 "Supernova""。バンド・リーダー、TAKUROに全国19都市を廻ったこのツアーの総括をしてもらうと共に、本ツアーと並行した自身のソロツアーについて、また今後のGLAYの活動についても語ってもらいました。

今回の"GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2016 "Supernova""(※1)。何と言っても鍵盤なし、5人だけでの演奏が最大のポイントでした。

TAKURO:そもそものきっかけは、昨年の"LUNATIC FEST."(※2)とチャットモンチーとのライブで。あの時、共にSEIさんがスケジュールの都合で来られないということで、「じゃあ5人でやりましょう」ということになって、(今回のツアーでも)あのヒリヒリとしたロックサウンドを…という。今までキーボードが入ることによって、音楽的にも整合性の取れた、GLAYのポップな面を強調したサウンドがずっと続いてきたんだけど、20周年を経て、自分たちでも"その次"みたいなものを模索していたところがあったんじゃないですかね?

はっきりと意識しないまでも、20周年以降の何かを探していたという?

TAKURO:そう。劇的に何かを変えるわけではなくGLAYは歩みを進め、20周年での大エンタテインメント──東京ドーム公演もそうだし、リリースがシングル中心だったことや、アルバム『MUSIC LIFE』(※3)でも手応えを感じていたけれども、「次へ進むんだとしたら、あのヒリヒリとしたロックサウンド、バンドサウンドをもう一度突き詰めてみようかな?」と。誰が言ったかわからないけれども、そういう話になった時に皆、同じ気持ちでしたよ。「"LUNATIC FEST."の時の感触よかったよね?」「チャットモンチーとやった時のシンプルさよかったよね?」って。だから、キーボードがいない分、いろんなアプローチでもってライブを構成していくというのは……自然な流れと言えば自然な流れでしたね。

元々、永井さんのスケジュールが埋まっていて、今回のツアーは参加できないことになり、それならば5人で…ということだったんですか?

TAKURO:いや、そういうことでもないんです。(SEIさんは)いつものようにGLAYのことを最優先で考えてくれていたんですが、そこをお断りしてでも、ちょっと掴みかけた自分たちの新しいサウンドを突き詰めようと。まぁ、ミュージシャンとしては当然の欲求で、それはすごく理解できるから、「それならば5人だけやってみましょうか?」と。やりたいことが明確であるならば、それはやるでしょう。

チャレンジ優先だったということですね。

TAKURO:まぁ、その辺は誤解されがちだけど(苦笑)、目に見えるメンバーチェンジがあると寂しがるファンの人たちもいるし、その変化に戸惑う人もいるけど、皆の知らないところですごくたくさんの人たちが係わっていて、出会いと別れは山のようにあって。そのひとつひとつがGLAYの成長につながったと思うし、正直言ってこの20年間、「(サポートメンバーは)絶対にこの人でなければばらない」というバンドにはなるまいと思いながらやってきたしね。だって、世界中に才能がある人たちがいるわけだから。永井トシさんはそこを一番理解してくれていて、「GLAYはもっといろんなドラマーとやった方がいいよ」ってよく言うんだけど、当たり前だよね? 永井さんはGLAYにとって最高のドラマーだけど、その永井さんが尊敬しているドラマーとのGLAYサウンドも聴いてみたいとも言ってくれているし。

まぁ、実際に『MUSIC LIFE』でも『JUSTICE』(※4)でも、TOSHIさん以外のドラマーとやっていますしね。

TAKURO:そうですね。人が変わるということも、人を減らすということも、そのひとつひとつがバンドにとって勉強にもなる。(今回のツアーでキーボードがなかったのは)そういう経緯です。

はい。で、当たり前のことでしょうが、鍵盤がないことの違和感はまったくと言っていいほどなかったです。予めそういうサウンドだったかのような聴き応えでした。

TAKURO:ある時、TERUがおもしろいことを言っていて。『100万回のKISS』(※5)は俺とHISASHIのアコギから始まるんだけど、ちょっとエキサイトしていると強く握り過ぎて微妙にチューニングがズレることがあって。本来ならそこにピアノが入っていて、ピアノの音階は間違いないわけで、"歌いやすい/歌いにくい"で言えばギター2本の時の方が不安定ではある。 でも、ある時の打ち上げで(公演の録音を聴いて)「チューニングおかしかったよね?」「3弦がおかしいよ」「ごめん、ごめん」なんてやってる時にTERUが一言、「まぁ、(それが)バンドだからね」と。(TERUの)その着地のさせ方は他のメンバーにとってはありがたいことだし、それがGLAYのGLAYたる所以なんだろうと思ったよね。(今回のツアーでは)和音がギター2人しかいなかったわけだから、そこで音を取るのはとても難しい場面もあったと思う。ちゃんと歌いたければメンバーを増やして、安定したピアノの中で気持ちよく歌えばいい──GLAYは20年選手なんだから、サポートを増やす事は容易にできることなんだけど、(そうではなく)俺たちが感じたヒリヒリとしたサウンドの緊張感につながっていると思えば、決して歌いやすいことだけを彼は望んだわけではないんだよね。

不安定さを含んだバンド感を選んだと言いましょうか。

TAKURO:うん。その不安定さを自分の歌声でカバーすることもそうだし、昨日とは違ったフレーズを弾くことでバンドに新しい刺激を…という楽器陣の思いもそうだし。同期ものが鳴っていたりするとどうしてもそっちに引っ張られるし、というか、そっち(=同期)はこっちに合わせてくれないし、(あるフレーズを)やってもやらなくても(それが同期に)埋もれてしまうこともある。あと、6人で全員が発言するとひとりの発言の重みが薄れてしまうところがあるけれども、5人では和音が(ギターの)2人、ベースにドラム、そしてボーカルだから、ある小節では「ここで楽はできないな」という場面もあるからね。そういったことではとにかく、毎回々々発見と修正、後悔と再構築だったよね。

その点で言うと、『Believe in fate』(※6)のようなダイナミズム溢れる楽曲だけでなく、先ほど挙げた『100万回のKISS』や『カナリヤ』(※7)、あるいは『SORRY LOVE』(※8)や『航海』(※9)といったミディアムナンバーを今回のセットリストにチョイスしたこともまたチャレンジだったのではないでしょうか?

TAKURO:まぁ、それもそうだけど、シングル曲、ヒット曲が(セットリストにほとんど)ないというのが何より(のチャレンジ)だったよね(苦笑)。自分たちの成長の度合いによって楽曲をちゃんと自分たちの意思で選べるというのは悪くはないけどね。……でもなぁ、もし俺が山本譲二さんのコンサートへ行って『みちのくひとり旅』が聴けなかったらちょっとがっかりだろうし(笑)、その辺で思うところはあるよ。ブライアン・アダムスがいきなりベースを持った時もそうだったし(笑)。そういうところはあるけれども、そこでバンドの成長を見守ろうとしてくれたファンの人たちとその声援、協力に感謝ですよ。

まぁ、ある意味でそれこそが"HIGHCOMMUNICATIONS TOUR"の意義でもあるでしょうしね。

TAKURO:もちろんもちろん。2003年の("HIGHCOMMUNICATIONS TOUR")(※10)スタートからそうですけど、アルバムツアーは当然その収録曲が中心になっていくし、単発のクリスマスライブみたいなものもあるけれど、大体のライブはアルバム発売ツアーみたいなものだよね。で、やっぱり30本くらいライブをやらないと見えて来ない風景がたくさんある中で、そうしたコンセプトに縛られない──逆に言えば、シングル曲だけのツアーでもいいし、シングル曲がなくてもいいんだけど、とにかくバンドが成長するにあたって、その必要な時間を与えたいというのが、90年代を終えた俺たちにとっての大きな課題だったから。……まぁ、よかったよね、このアイディアに対して皆が積極的で。

大きく分けると、所謂レコ発のツアーがあり、"GLAY EXPO"(※11)や"HOTEL GLAY"(※12)などの大規模イベントがあり、そしてコンセプトに縛られない"HIGHCOMMUNICATIONS TOUR"がある。そういうGLAYのライブ活動の流れのようなものは、ここ10年間で確立されたようにも思えます。

TAKURO:うん。定番化するつもりでスタートしたしね。デビューして8、9年目、自分たちがどういった形でこの世界でやっていくかと考えた時、一番はバンドの飽くなき探求心みたいなものをちゃんと表現できる場所を確保することであって。さっき言ったように(ライブが)アルバム中心になると、馴染みのない楽曲をお披露目的な意味で初演することも多いだろうし、(それを繰り返していくと)その中でライブでやる曲とやらない曲が出て来るでしょう? 残りの枠は何かと言うと、定番曲、ヒット曲ということになるんだろうけど、(GLAYの楽曲は)それだけではないし、それだけをやっていくと緩やかな下り坂が待っているということを当時、理解していたからね。

早くから、しっかりとそこを認識されていたんですね?

TAKURO:してた、してた。これは今でも思うことなんだけど、CD屋さんへ行って好きなバンドのライブDVDを手に取ってパッケージの裏にある曲目を見ると、(そのバンドが)よくやる曲が必ず5、6曲ある。どれを見てもそうだから、それは正しいセオリーなんだと思う。だけど、「GLAYというバンドはそれだけではいけないなぁ」ということは感じていたので、ひとつのコンセプトを立てて、その時ばかりは何をするかわからないというライブを、特にコアなファンの人たちは求めて来るだろうなと。10周年という区切りを前にしてそう感じたんだよね。

なるほど。コアなファンが求めるものを…と考えて、しばらくライブでやっていなかった楽曲を披露するというのは納得ですし、"HIGHCOMMUNICATIONS TOUR"はいい企画ですね、やはり。

TAKURO:とってもいいことだよね。


例えば、『Will be king』(※13)や『航海』。発表された当時は身の丈に合わなかった…とまでは言わないまでも、ポップなGLAYとは明らかに別ベクトルな楽曲だったと思います。それが時を経て熟成されてきたと言いますか、すごくいい感じだったことが個人的には今回の"HIGHCOMMUNICATIONS TOUR"では印象に残っています。

TAKURO:……まぁ、これも音楽の奥深さなんだろうけど、今『BEAT out! Anthology』の作業をやっていて──(アンソロジー(※14)は)自分にとって1年に1度の季節の風物詩になっているんだけど、マネージャーやスタッフと一緒に聴いていると(『BEAT out!』(※15)は)『SPEED POP』(※16)とはまた全然違うんだよね。いきなりメジャー感が出たというか。『Yes, Summerdays』(※17)なんか聴いていて思うのは、アレは俺の歌じゃないものね。俺個人の歌じゃなくて、カメリアダイアモンドのためであり、世の中に対しての歌だよね。『月に祈る』(※18)もそうだし……『BEAT out!』の中で自分を等身大に出したのは『軌跡の果て』くらいなもので。で、『BELOVED』(※19)『pure soul』(※20)になってくるともっとパーソナルになってくるから、(『BEAT out!』収録曲の)所謂佐野元春さん的な街のスケッチ感というのはおもしろいなと思っているんだけど──今回のツアーを俺が何でこんなにおもしろいと思ったかと言うと、そのスケッチ感の多い楽曲がいっぱいあったからなんだよね。『Believe in fate』もそうだし、『千ノナイフガ胸ヲ刺ス』(※21)も『汚れなきSEASON』(※22)もそうで、(スケッチ感のある楽曲というのは)必ずしもシングルで出たわけでも、(アルバムの)テーマ曲になったわけでもないし、書いたのは俺だけど、当時の俺は自分のことを書いたつもりはなかったと思うのね。街のどこかで出会った誰かの一コマをスケッチ的に書いたという。そうした曲作りの違いを今回すごく感じましたね。

それもまた、あまり披露してこなかった楽曲を演奏する"HIGHCOMMUNICATIONS TOUR"ならでは…といったところでしょうね。

TAKURO:そうだね。『Will be king』『航海』で言えば、逆にね、もうあの頃の気持ちではないわけで。『Will be king』を書いた時の、爆発的なブレイクの後に残った苦みのようなものを十分に体験して、それを乗り越えて今があるわけで、あんな焦りもなければ、もっと世の中がよく見えているからね。だから、距離がいいもんね。(いずれにしても)その距離感の絶妙さを今回は感じたな。わかってもらえるかな?

作られた当時のキリキリとした感じがないと言ったらいいでしょうかね? こちらとしてもメロディーとアンサンブルを純粋に楽しめたという感じがします。

TAKURO:(当時は)曲の評価よりも、まずバンド全体の評価に対してピリピリ、キリキリしていたと思うし、自分たちも早く自分たちのスタイルを確立しなきゃいけないというところで、HISASHIの髪がどんなに青かろうが、JIROの髪がどんなに立っていようが『HOWEVER』(※23)はやっていたわけで、そういったところでは今は全体のバランスがいいんじゃない? 「そんなビジュアル系みたいな恰好をして、何で優しい歌をやっているの? そうじゃないでしょ?」ってアマチュアの頃にライブハウスの親父に言われたけど、俺たちにしてみれば「何だっていいじゃねぇか!? 好きなことを全部やってるんだ!」ということで──でも、今だから思うよ、もうちょっと整理できなかったかなって(苦笑)。何を整理するかと言えば、自分の心の整理。「お前の心の整理が出来てないから(周りに)ちぐはぐな印象を与えてるんだ」って今は思うよ。例えば、葬式にアロハシャツを着ていくとしよう。「こいつは生前、俺のアロハが大好きで、この姿が一番好きだと言ってくれたのでこれを着てきました」と言っても、それもわかるんだけど、「その前に心の整理をして来い!」って感じじゃない(笑)?

今は送り手として、いい意味で客観的になれているということですね。

TAKURO:そうそう。当時、第三者の生活風景をスケッチした曲でも、それは傍観者としてスケッチしただけだけど、今はその人の生き方が少しわかる。当時はわかんなかったけどね。佐野さんが(『ガラスのジェネレーション』で)♪この街のクレイジー・ミッドナイト・カンガルー♪と言ったけれども、彼が当時、(その歌詞の意味を)どこまでわかっていたかは疑問だよね? ただ、見たことを書いただけかもしれない。だけど、(今の自分は)そんな風に街でいろんな生き方をしている人にもとてもシンパシーを感じるんだよね。ライブでお客さんの姿を見ていても、"ファン"という括りはできない。ひとりの人として見るよね。「あの人は仕事帰りなのかな?」とか「この人は親子三代で来ているのかもしれない」とか「部活帰りの子もいる」とか、ひとりひとりの人生が見えて来た時、『Believe in fate』の歌詞がどうであれ、あの頃の俺たちがどう伝えたかったのかがすごくよくわかる気がする。

あと、個人的には、今回のセットリストは各アルバムから比較的まんべんなくセレクトされていたのもよかったです。「ああ、いろんな会場でGLAYのライブを見たなぁ」と感慨深く聴かせてもらいました。

TAKURO:そうだね。(アルバムリリース)ツアー以来やってない曲はその前後にはやってないということだから。

それもそうだし、回顧的なものだけでなく、一昨年からやっている『百花繚乱』(※24)『TILL KINGDOM COME』(※25)などもありました。今回は様々な時代のGLAYを各地のファンも元へ届けるツアーだったとも思います。

TAKURO:まさしくそうですね。特に『航海』辺りは『UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY』(※26)のツアーもなかったし、何かしら特別な場所で披露したことはあったにせよ、これらの楽曲を持って全国を縦断したことはなかったですからね。……あと、ギター2本で、極々初期の、ライブハウスでやっている頃のGLAYを彷彿とさせるようなアンサンブルだったわけですが、生々しいギターサウンドが前に出て、それを永井さんとJIROがボトムを支え、JIROに至っては立ち位置をほぼ動かさずという──その彼の決意も覚悟もすごいと思うけど、そこで見えたの「やっぱりバンドっていいよね」感ですよね。20周年でやったGLAYというのはとにかく感謝で、皆さんのGLAYであろうとしたんだけど、今回に関しては、皆さんのGLAYをちょっとだけ4人に戻してもらって、4人が伝えたいことに対して誠実であろうとしたと思うし、そのバランス感覚も絶妙だったと思う。もちろん、今回もセットリストを考えたのはJIROなんだけど、彼に意向は十分に理解できたしね。さすがに最初は「こんなにサービス精神のない感じでいいのかな?」とも思ったけど、楽曲にサービス精神がないと感じたなら音で見せ場を作ろう、フレーズで見せ場を作ろうと思ったし、TERUが言った「不安定なアンサンブルな中でも自分が引っ張ることでライブが締まる」であったり、そういった何かを不便にすることによって、それぞれが逆に成長するというか、がんばるというか。どこかの大学で研究したら何かしらの研究結果が出るような(笑)。

今回、ステージ演出も少なめだったじゃないですか? JIROさんも立ち位置を動かなかったけれども、実はTERUさんもセンターからそう動いていなかったと思います。そうなると、こちらもじっくりと演奏を見ますし、今回は今まで以上に集中して聴いたライブだったのではないでしょうか。

TAKURO:よくメンバーと話すのは、俺たちが長くやっている理由のひとつに、ファンの人たちが自分が好きだったGLAYの変わらぬ姿を見て安心するということがあるんだろうけど、もしかすると俺たちはそこにはいないのかもしれない。いや、今までもそうだったのかもしれないな。お客さんを喜ばせることは自分たちも好きだし、喜ばせてあげたい気持ちもあるんだけど、また新しい目標を見つけてそこへ行く時、外部のことを考えているかと言ったらそうでもないんだよね。やっぱり4人でバンドが楽しくて、ワチャワチャしている中で、そこから出て来た原石みたいなものを磨いて磨いて、それは後々、楽曲になるとは限らなくて、例えば"GLAY EXPO"や"HOTEL GLAY"というコンセプトだったりするんだけど、それはたくさんの誤解の中から自分たちの信念を貫いて最後に残ったものだったりするから、今回もそういうところがあったと思う。「JIROちゃん、もっと動いてください」みたいなファンレターやメッセージもたくさんあったはずだよ。それを見て複雑な顔をしている彼を見ると、「ほほう…」と思う。このツアーを終えた後の彼は何かを掴んで、あらゆる意味で懐の深いミュージシャンになると思うし、それを見守っていくのも、いくつかあるバンドの試練のひとつだろうね。ヒット曲も有名曲もやらないから、昔の思い出装置としてのGLAYではないかもしれないけど、それでも貫きたい意思を感じたよね。

わかりました。では、もしかすると今語っていただいたことと関連するのかもしれませんが、今回"HIGHCOMMUNICATIONS TOUR"と並行して、TAKUROさんはソロツアーである"GLAY MOBILE Presents "Journey without a map 2016""(※28)を開催しましたよね? ジャジーで、ブルージーで、フリーキーな、GLAYのポップさとは異なる音楽性を持ったステージでしたが、このソロツアーの経緯を教えてください。

TAKURO:独立して自分たちでバンドをマネジメントするようになってから俺は作詞作曲と政治の世界にいたわけだけど、その両方がようやく落ち着いて、HISASHIは今やメインでソングライティングするようになったし、TERUに至っては『ダイヤのA』の三部作(=『疾走れ!ミライ』『HEROES』『空が青空であるために』(※27))がすごく評判がよくて、そういった彼らのチャレンジを見ていると、それならば前々からイメージとしてあった自分の今後のギタリストとしての生き方をそろそろスタートさせないとな…と。俺ももう45歳だからね。簡単に言うと、俺の理想の生き方がレス・ポールさん(※29)なわけですよ。毎週月曜日にニューヨークの小さなクラブで2回ステージを90歳近くまで続けるという。そういった生き方にも憧れているので、そうなるように生きていこうと思ったんです。

それをようやく実行に移せるタイミングがやって来たと?

TAKURO:松本(孝弘)さんの後押しもあったんです。「遠い話にしないで、今すぐにやった方がいいよ。おもしろいよ、インストの世界は。」って。そうした励ましもあったし、じゃあ…というね。(今までは)「GLAYのツアーが終わったら」とか「GLAYが落ち着いたら」とか、そんなことばっかり言ってたから、ツアーの最中で落ち着かないけどやろうと。……やればやったで得るものも大きくて、何がおもしろいって、GLAYのステージでは決められた型をどれだけ気持ちを込めて弾くかということで、それは『Scoop』(※30)にしても『千ノナイフガ胸ヲ刺ス』にしても、何にしてもそうですよね。でも、(GLAYのライブの)次の日はその型がない。何を弾いても正解じゃないし、何を弾いても失敗じゃない。自分の気持ちを32小節弾いても42小節弾いてもいいし、8小節で終わったっていい。その型のなさというもののおもしろさ、型があることのおもしろさを交互に体験していくというのは、とっても勉強になりましたよ。

素人考えですが、バンドとソロを同時進行できたというのはすごいと思います。

TAKURO:できるできる(笑)そんなことを言うのなら、永井さんなんて随分前からツアーの最中、ライブの後で皆が打ち上げをやっている最中にスティック持ってジャズバーへ行ってちょっと叩いたりしていたからね。そんな姿を見ていて俺もやりたかったのね。結局そういうことです。

ギタリストとして自分がやりたいことをやる場所を作りたいと?

TAKURO:そうですね。GLAYのリーダーとしての曲作りは、自分の熱量だったりクライアントの意向もあれば、バンドメンバーのやりたいことを考えながらGLAYが一番輝けるものを…と考えるけれども、(ソロは)そんな型すらない"Journey without a map"だったので。

まさしくマップのない状態だったわけですね。

TAKURO:もうまさに。

私は新潟・ジョイア・ミーア公演を拝見しましたが、凝った照明もない少ないキャパでのカフェライブもいいものですよね。ああいうスタイルの音楽もあるということですね。

TAKURO:あるね。しかも、自分の中の大きな部分の一部ですからね。決してない引き出しをひっくり返したわけじゃなくて、やりたいことを集めたらあんな形になったというのは自分でも意外ではあって。「あ、こんな形の曲が出るんだ?」とも思ったし。

そうですか。とすると、今後の活動にも連鎖していく可能性は大きいと?

TAKURO:もちろん、もちろん。(ソロライブは)続けていきたいし、6月にロスでレコーディングしようかと思ってるんで、それがまとまればリリースやツアーもやりたいと思ってるしね。

GLAYとはまた別にソロも活性化させていくということですね?

TAKURO:いや、GLAYと別に…ではないんだよね。俺、いつも子供の学校で校長先生と一緒にバンドをやるんだけど──。

そんなこと、やるんですか(笑)?

TAKURO:やる。サザンの桑田さんもやってたじゃない(笑)? あれは桑田さんのソロ活動とは言わないし、子供の学校の校長先生とやるのも自分のソロではないから、GLAYの別活動ではないよね。

そうですか。しかし、こうしてお話を聞いていると、20周年を終えて、TAKUROさん自身の魂はどんどん解放されているようですねぇ。

TAKURO:それもあるだろうし、これは俺だけの生き方かもしれないけれど、そんなに時間があるとも思えないしね。だから、50歳になったらやろうと思っていたことを、親友から「そんなことを言ってるんなら今やりなよ?」って言われて、「ああ、なるほどなぁ」って。明日また必ずギターが弾けるという保証なんて誰にもないわけで、それを「○○になったらやろう」と言うのは今の年齢から考えたらナンセンスかもって──これは正直に言って、ものすごく感じてる。

わかりました。では、最後にこれからのスケジュールについて話せる範囲で教えてください。まず、7月にファンクラブ限定ライブがあります。

TAKURO:うん、まずはそれだね。で、ありがたいことにいろんな話をいただいていて、特に自分以外のメンバー3人への楽曲のオファーが多くて、それを個人でやることもGLAYでやることもあって、今はそれをずーっとやってます。休まないよなぁ、俺ら(苦笑)。

ホントですよね(笑)。

TAKURO:20周年が終わったら楽になると思ってたんだけど(笑)。

実際、あの時はそう言ってました。

TAKURO:まぁ、"Journey without a map"もあったしね。あと、今HISASHIの才能がアチコチで爆発しているじゃないですか?

はい、まったくその通りだと思います。

TAKURO:そうした友人のがんばりを力いっぱい応援したいという3人もいるし、「未だ無限の伸びしろのある才能なら今伸ばさないでどうする!」という気持ちもあるし。


GLAY本体に動きがあるのは少なくとももう少し先という感じでしょうか?

TAKURO:うん。……あと、これだけは言っておかなければいけないんだけど、熊本地震の件ね。すでにいろんな形で支援させて貰っているけど、自分たちが現地へ行ったり、そこで音楽をやることが自分たちの得意分野での支援だと思うので、それは今すぐにでも、とは思っているよ。まだ余震が続いている状況だから色々大変だと思うけど、ただ、準備だけはしておこうと。

しかし、今回のツアーで九州を廻った後、東京へ戻った直後に、熊本・大分で地震でしたから驚いたでしょう?

TAKURO:まさに。間違いなく、地震が起こった日の10日前に熊本城にいたもん。桜が咲いていてね。映画『ちはやふる』を熊本市内で見て、(GLAYで)ライブをやって、次の日にはジャズやって──4日間くらい滞在していたのかな? 

そんなところが被災するというのは何とも──。

TAKURO:ねぇ……2011年3月に妻の実家が熊本なので2週間くらい熊本にいたんですよ。(東日本大震災の時は)九州には物も豊富で、関東近郊のコンビニやスーパーには何もない状態で、タクシーの運転手さんが「(東日本は)大変ですよね?」なんて話していたんだけど、そこから5年後に今度は熊本が…というね。「日本はこれからどうなってしまうんだ?」って思うよ。

思えば、中越地震の時もGLAYはツアー中でしたよね。上越新幹線が止まってしまって、会場には空席が目立っていたことを思い出します。不思議とGLAYは地震と関わり合いがありますねぇ。

TAKURO:地震大国で暮らしていることをまざまざと感じさせるし、こんなことをインタビューで言うのも変だけど、日頃からの備えを改めて考え直す必要があると思うよね。

はい。現地が落ち着いてから、熊本に向けてGLAYとして何かしら支援活動を起こすということですね?

TAKURO:もちろん。リリースとアルバムのツアーは如何にも仕事という感じなんだけど、さっき言った校長先生とバンドをやるのもそうだし、例えば「東北六県を廻ろう」ということにしてもそうで、(それらを)仕事にカウントしていないもんね。「(スケジュールが)空いている時にやっちゃう? やったら喜んでくれるんじゃない?」という感じでやっているから、むしろ時間がある時(そこで)やれたらいいよね。……まぁ、次のアルバムに関して言うと、俺たち、『MUSIC LIFE』の時に失敗したんだよね。『BLEEZE』(※31)の♪真夏の愛を抱きしめて♪で始めるアルバムにもかかわらず、リリースは11月だったことを非常に後悔していて(苦笑)。「アルバムの内容と発売される季節を合わせようぜ」という話にはなっているので、次のアルバム用の曲が集まったら、その季節感を見て(リリースを)そこに合わせるよ(笑)。

※1:GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2016 "Supernova"
2016年1月より開催した全国19ヶ所30公演のツアー。4月21・23・24日の日本武道館3DAYSにてツアーファイナルを迎えた

※2:LUNATIC FEST.
LUNA SEAが主宰するロックフェス。2015年6月27日(土),28日(日) 幕張メッセにて開催。GLAYは2日目に出演。

※3:MUSIC LIFE
2014年11月5日発売
20年間の歩みが凝縮!進化し続けるバンドサウンドが結実した13枚目のオリジナルアルバム

※4:JUSTICE
2013年1月23日発売。初のセルフプロデュース作品として『JUSTICE [FROM]GUILTY』『運命論』を含む全10曲を収録。デビュー20周年にあたる2014年までの主な活動を発表し未来を約束したGLAYの新たなサウンドが凝縮した11枚目のオリジナルアルバム

※5:100万回のKISS
2007年1月17日に発売した通算35作目のシングル。CDのみの通常盤の他に4種類のDVD付きの限定版も同時発売
作詞/作曲 TAKURO

※6:Believe in fate
1996年1月17日に発売した8枚目のシングル「グロリアス」に収録された楽曲
作詞/作曲 TAKURO

※7:カナリヤ
1996年11月18日発売の3rd ALBUM「BELOVED」収録曲
作詞 TAKURO/作曲 JIRO

※8:SORRY LOVE
37枚目のシングル「Ashes.EP」収録曲。2007年10月31日発売
作詞/作曲 TAKURO


※9:航海
2002年9月19日発売の7th album「UNITY ROOTS & FAMILY, AWAY」収録曲
作詞/作曲 TAKURO

※10:2003年の("HIGHCOMMUNICATIONS TOUR")
2003年2月27日・日本武道館公演を皮切りに全国14ヶ所34公演を行ったアリーナツアー

※11:GLAY EXPOGLAY主催による大規模ライブイベント
今までに「GLAY EXPO '99 SURVIVAL」「GLAY EXPO 2001 "GLOBAL COMMUNICATION"」「GLAY EXPO 2004 in UNIVERSAL STUDIOS JAPAN? "THE FRUSTRATED"」「GLAY EXPO 2014 TOHOKU 20th Anniversary」を開催。観客総動員数は約63万5000人を誇る

※12:HOTEL GLAY
「来てくれた人全員が満足して帰ってくれる」ライブを目指し、ステージセットもホテルに見立てた「HOTEL」と「GLAY」のコラボレーションライブ

※13:Will be king
1999年10月20日発売の5th ALBUM「HEAVY GAUGE」収録曲
作詞/作曲 TAKURO

※14:アンソロジー
かつてのアルバムにもう一度スポットライトを与えるというコンセプトのもと、今までに2011年7月30日発売の「GLAY Anthology」、2014年5月25日発売のIndies Albumスペシャル・エディション「灰とダイヤモンドAnthology」、2015年10月28日発売の「SPEED POP Anthology」が発売されている

※15:BEAT out!
1996年2月7日発売の2nd ALBUM

※16:SPEED POP
1995年3月1日発売の1st ALBUM

※17:Yes, Summerdays
1995年8月9日に発売された6枚目のシングル
カメリアダイヤモンドのCM曲として使用される
作詞/作曲 TAKURO

※18:月に祈る
1996年2月7日発売の2nd ALBUM「BEAT out!」収録曲
作詞/作曲 TAKURO

※19:BELOVED
GLAY9枚目のシングル曲であり、3rd ALBUMのタイトルにもなっている
作詞/作曲 TAKURO

※20:pure soul
1998年7月29日に発売された4th album「pure soul」のタイトル曲
作詞/作曲 TAKURO

※21:千ノナイフガ胸ヲ刺ス
1994年5月25日に発売されたIndies ALBUM「灰とダイヤモンド」収録曲
作詞/作曲 TAKURO


※22:汚れなきSEASON
2010年10月13日発売した10th album「GLAY」収録曲
作詞/作曲 TAKURO

※23:HOWEVER
1997年8月6日発売の12th Single
作詞/作曲 TAKURO

※24:百花繚乱
20th Anniversary Year第2弾シングルとして発売
「百花繚乱/疾走れ!ミライ」ダブルAサイドシングル。「疾走れ!ミライ」とは正反対な、現代社会に対する風刺など革新的な内容を題材にしたストレートで"ヤバい"歌詞になっており、ヘビィなロックサウンドが印象的な楽曲
作詞/作曲 TAKURO

※25:TILL KINGDOM COME
2014年11月5日発売した13th album「MUSIC LIFE」収録曲
ドラムに中村達也を起用した、グルーヴ感満載のロックンロールナンバー

※26:UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY
2002年9月19日発売の7th album

※27:『疾走れ!ミライ』『HEROES』『空が青空であるために』寺嶋裕二による日本の漫画作品「ダイヤのA」のTVアニメ主題歌の三部作
疾走れ!ミライ…2014年10月15日発売・51st Single「百花繚乱/疾走れ!ミライ」に収録
HEROES…2015年5月25日発売52nd Single「HEROES/微熱?girlサマー/つづれ織り~so far and yet so close~」に収録
空が青空であるために…2016年1月27日発売・53rd single「G4・IV」に収録
作詞・作曲はすべてTERUが手掛けている

※28:"GLAY MOBILE Presents "Journey without a map 2016"2月19日(金)仙台公演を皮切りに全国7か所にて開催されたTAKUROのインストツアー。
ライブあり、トークありの公開録音を各会場で行い、その模様はGLAY MOBILE「TAKURO MOBILE MEETING」にて配信された

※29:レス・ポール 2009年8月13日逝去、没年94歳。アメリカのギタリストであり、ソリッドボディーのエレクトリック・ギター、「ギブソン・レスポール」の生みの親

※30:Scoop
53rd single「G4・IV」に収録
作詞 TAKURO/作曲 JIRO

※31:BLEEZE
GLAY 20th Anniversary 50th SINGLEと銘打たれた記念シングル「BLEEZE ~G4・III~」収録曲
2014年7月9日発売
作詞/作曲 TERU

インタビュー:帆苅智之