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TAKURO WEBインタビュー

Vol.23 TAKURO WEBインタビュー
GLAYにとって11枚目と12枚目のアルバム『JUSTICE』と『GUILTY』は、2枚同時にリリースされるが、これは"同時"でなければ意味がない。時間的経過を伴っては意味を成さない。なぜなのか? その深遠にして直接的な理由をリーダーのTAKUROに聞いた。

――今回は、『JUSTICE』と『GUILTY』の2枚同時アルバム発売ですけれども、まず、なぜ分けたのか、2Wayに。その理由から聞きたいんですけど。

TAKURO:理由は、なるべくしてなったとしか、いいようがないんですけど。もともとは3年ぐらい前から、10枚目のアルバム『GLAY』を発売して、次のアルバムに向かって曲を書いてて。まあGLAYの場合は暇さえあれば、スタジオに入って、リズムを録ってっていう。だから、メンバーもどうなるか分からなかったんじゃないかな?

――最初はそうだと思うんですよ。

TAKURO:アタマの中におぼろげな地図を持ってるのは、俺ぐらいで、「コレは何用?」っていうのをほとんどメンバーみんな訊かないっていうか、興味がないと思うんだ。レコーディングしてる最中は楽しいけど、してしまったらもう、興味がないっていうような人なんだけど。で、佐久間正英さんと通常のようにスタジオに入っていて、今回、それぞれ10曲収録ですけどね、だけど、その下にはあと十何曲、リズムしか録ってないとか、ギターまで録ってやめたとかの曲がありながら、そのなかでひとつの手応えと、あともうひとつは、その間に、THE PREDATORSがあったりとか、ACE OF SPADESがあったりとかで、また、GLAYの世界が広がりを見せていった。最初は普通に11枚目のアルバムを出そうと思ったんだけど、そこに出会いとか、ある意味GLAYの音楽として、一個また新しい扉を開いた部分もあるし、ひとつの頂点を迎えてあとは緩やかな下降線だろう、っていうような部分もどうしてもあるので、ここで一回ちょっと根本的に何かを変えていきたいなって。もともとGLAYはそんな、閉鎖的な感じでもないし、これまでも変化を受け入れてきたんですけどね。今回はその受け入れた、たとえば、TERUの、音作りに対するこだわりだったりとか、エンジニアの小西さんとの出会いだったり、たとえば佐久間さんがプロデューサーっていうだけじゃなく、エンジニアとしてやりたいこととか、それぞれの変化に、俺たちはかなり良いかたちで影響されて、それで結局シングルも2枚、アルバムも2枚なんです。で、活動もどんどん、函館でライブやりたいな、とか、ここまで来たら、EXPOまでのビジョンもきっちりとリスナーと共有しよう、とか、たぶんそれは持ってるバンドの未来だったりと約束したくて、急(せ)いてた部分もあるのね。世の中とか時代とか、どういう言い方がいいか分からないですけど、そういうところでみんなのやる気も、クリエイティビティもすごい、テンションMAX。これはもうリーダーとして、活かさない手はないと。だから、今回の2枚のアルバムは、なるべくしてなったかな。

――09年の「GREAT VACATION」というナンバーの中に、リーダーが「黒でも白と言ってきた」っていうフレーズを書いてるわけですよね。だから、その時から僕は予感していたんだけど、対立構造っていうかな、対立する、対になるものを掲げてその2つの融合というか、それを見せることによって、今から先のGLAYを見せようとする何らかの青写真がね、リーダーの中にあるのかな?って。

TAKURO:そう、今まさに。自分自身JUSTICEとGUILTY、この2つの言葉を並べたわけだけれども、もともとの発想はすべて、HISASHIから出たものでね。今年の春ぐらい、バンドとしてはあるいくつかの問題を抱えていた中で、早い話どっちにも行けた。だけどどこへ行ってもたぶんGLAYだったら正解にしたんだろうなっていう。どれを引き受けたとしても、例えば、あ、間違ったなって思っても、その間違いを絶対プラスに変えて行こうっていうような、そういったポジティブなパワーって、TERUをはじめ、あるじゃない?

――行き先が、多少違ってもね。

TAKURO:多少違っても、必ずみんながハッピーになる選択をして行くんだろうなと、思った中で、例えば去年、その前と毎年面白いハプニングもある中で、今年のあるトラブルに対する解決の仕方っていうのは、HISASHIが言った「やっぱり、俺たちが持ってる"JUSTICE感"じゃないの?」ってセリフだった。それってすごい、ある意味危険なんですよ。まず人が言葉を発する、例えば人間、言葉を覚えて、ものを言うっていう、その歴史って、全部自分の都合によって、自分の肯定で自分の存在を認めさせるのみにしか言葉って働かないじゃないですか。

――そうね。

TAKURO:だけど、なんでこんなに武装するんだろうっていうと、やっぱり自分の生存欲求の最たるものが言葉だとして、もうひとつGUILTYっていう言葉がまた、HISASHIの口から聞いた時に、今のGLAYってやっぱこうだよねっていう。JUSTICE from GUILTYっていう言葉を、その、fromをつけてこの2つをくっつけた時、勝ったなと思ったんです。。

――(笑)何に勝ったの?

TAKURO:今のGLAYを表すのはコレなんだって。さっきも言ったように、正義って人を酔わせて、正義面をして掲げればなんでも通るって、たいていの人は思うし。

――それが大義だからね。

TAKURO:大義って言われるやつですよね。だけどそれがすべて有罪、罪から生まれたものだとしたら、人の正義って分からなくなる。しかもたぶんそれって、俺の中では、謙虚さもあることでね。日本と諸外国との関係も、外国から見たら俺たちは悪で、日本から見たらあなた達は悪でっていうような中で、こういったことを今きっちり、声高に歌えたらよいなっていう思いがあるんです。だからたぶん、HISASHIの中でも対世の中とか、対自分を取り囲むまわりの中に、何かそういうことを考えることがあったと思うんですよね。それか、ずっとあたためてきた言葉であるのかどうか、それはちゃんと話してないから知らないんですけど、でもやっぱり、ひとつGLAYが乗り越えなければならない壁の時に、まっすぐに、「いや、俺らのJUSTICE感で行きましょう」と。らしいよね?ある意味、裏を返せば世の中のことなんかどうでもいいじゃないか、自分たちの正義を貫いていこうぜっていう。でも俺としてはそれをきっちりと具現化して、言葉にして、活動に展開していかなければいけないっていう、仕事もあったから。で、この2つをうまいこと結びつける言葉っていうところにJUSTICE、GUILTYってなったとき、シングルの世界観もそうだし、アルバムの存在もうまいこと表せるんじゃないかなと、そう思ったんです。