TAKURO WEB INTERVIEW
TAKURO WEB インタビュー函館ライブ、ニューシングル、そしてアコースティックライブの話も!GLAY流「倍返し」とは?
――僕は今年の函館ライブを体験して、ずっとリーダー(TAKURO)が言っていた「ライブを通して現実は具体的にどう変わるのか?」っていうことが、本当に目の当たりにできたと思っているんです。街が変わるっていうのはこういうことなのか。人が動いて、そのエネルギーが土地に浸透していくっていうのはこういうことなのか、っていうことを、それこそ99年の幕張のGLAY EXPOよりも感じられましたよね。
TAKURO
「例えば、居酒屋さんが函館ライブで普段の5倍の量を仕入れました。冗談じゃないよと、余っても知らないからね、GLAYのせいじゃないからね(笑)と。けど、その期待を日々自分たちは持って生きてるか? ってことだよね。だから2020年、東京オリンピックで何かが変わるかもしれない、前向きになるかもしれない、沈んだ日本が活気を取り戻すかもしれないっていうようなことに近いものであったし、(1964年の)東京オリンピックのときはそれをきっちりと、やり遂げたんだろうね。そこから日本の敗戦以降の盛り上がりを70年代を通して体験していくわけだけど、そのピークが90年の前くらいまでで。でもそういう、人は人に期待していいんだ、人は<いま>に期待していいんだ、明日に期待していいだ、そしてそれを裏切られることなくやり遂げられたとき、佐伯さんは<時代>って呼ぶんだろうけど、そういう錯覚を信じてしまうくらい感激した」
――その、錯覚だってわかっているのに、そこに自分を投影できるか、というか共鳴できるか。そこに錯覚のリアリティがあると思う。活字にすると、妙なニュアンスだけど。
TAKURO
「もちろん、今までもこれからもGLAYはGLAYなんだろうけども、やっぱりメンバーの意識もあそこ=函館ライブで変わったんじゃないかな。まあTERUはステージで4年後とあそこで言ったけども、当然毎年できるエネルギーがないもんね。時間もかかるし、エネルギーも膨大に使うし、毎年やってくれって市民の人たちは言ってたけれども、本当に4年に1回が限度でしょうと。アイディアも含めて、金銭的な面も含めて、すべてですよ。だけど、やっぱり自分たちが長居スタジアムで宣言した未来を公言するバンド、そのこと自体のリスクも、時間を進めるにつれ、すごいあるけれど、それでもなお、GLAYがGLAYであるってことは、未来をひとつずつ約束して、それを果たしていくことなんだな、と。だから本当に長居スタジアムで決心し、覚悟したものっていうのは、確実に自分たちの中に根付いているし、そうさせているしね。言い聞かせてもいる。言い聞かせることによって、自己暗示じゃないけど、ものすごいパワーを生んだのも確かだし。これが来年は東北でのGLAY EXPOっていうところに活かされるのだろうし」
――ステージのうしろに函館山は見えなかったけどね(笑)
TAKURO
「危なかった、俺はステージのうしろに函館山あるから、ステージなんかいらないんじゃないかって言ってたんだけど(笑)金もかかるし、なんていって(笑)あんな見えなくてステージがなかったらね、デパートの屋上の営業みたいになっちゃってたよね」
――でも霧と雨のGLAYっていうのも、よかったよ。
TAKURO
「もちろん実質、雨に降られなかったこの20年っていうこともあって、雨に降られたときのGLAYはどうなんだ?と。結果、メンバーみんなの振り切れっぷりは頼もしいというか、俺の大好きなGLAYだよね。こうじゃないとね、っていう。ちゃんと演奏しようとか、ちゃんと歌おうとかではなくて、ここまで来たらアホになってお客さんもこの豪雨を乗りきれるというか。もう音楽っていう体(てい)ではなくていい、と思ったもんね。」
――ライブでやってることは音楽だけど、支えている精神は音楽をやっているものではない。
TAKURO
「本当に。もう<寝るな>じゃないけど、<頑張れよ>じゃないけどさ。そういうメッセージだろうね。」
――さて、今回の「DIAMOND SKIN」と「虹のポケット」は、両方ともリーダーが培ってきたものの中の、核みたいなものを取り出しているような気がしますけどね。
TAKURO
「今回は49枚目、その辺を脇から固めるじゃないけども、自分のなかで、いまGLAYはどういう状態なんだろう、いまどの地点にいるんだろう、ソングライターとして、ギタリストとして(考えて)、49枚目かと。実は本当を言うと、このシングルは本来は出るべきでなかった。出す予定がなかったんですよ。GUILTYセッションのときに、最終工程のあたりで「DIAMOND SKIN」が生まれて、俺はこの曲が大好きで、一番この曲が出るべきときに、出してあげたいと。リリースタイミングとかそういうのじゃなくてね」
――「DIAMOND SKIN」の歌詞はひとりのナレーター的に書いていった?
TAKURO
「いままで、人生の芯を食うみたいなものを目指して悲劇も喜劇も書いてきたけれど、こういったある意味、禁断の恋、言ってみたら不倫みたいなものをGLAYの持っている面として一番避けてきたというか。まあバンドの感じがそんな暗い感じでもなかったしね」
――"あえて堕ちていってやる"みたいなバンドも多かった中……。
TAKURO
「これはもしかすると、ロックナンバー。要するに80年代歌謡曲じゃない? 歌詞でいったらこれ完全に、工藤静香と松井五郎の世界じゃないですか。でももう歌えるんじゃないのかな、と思って。個人的にはこういった物語は書いてきたけど、それをGLAYに持っていく、持って行かないは全然別の話だったので。それよりもやっぱり「Bible」だったり、たとえば「Precious」だったり、そういう作品を・・・、特に「SAY YOUR DREAM」が出来て、「Bible」に行ったときに、なんか俺、いまの自分における、人生のなんたるかをちょっとわかったかもと思ってね。「虹のポケット」ってどんな印象ですか?」
――ひとことで言えば"懐かしいGLAY"。
TAKURO
「らしいですよね。確かに最近やってなかったのかなっていう。この手の曲を。要するに「グロリアス」みたいなもんでしょ。
TAKURO
――あれの進化系なんですよ。
TAKURO
「だから「グロリアス」があるから、もういいやっていう。また納得できる進化系ができるまでは、手をつけないんだね、きっと。前の「4 ROSES」っていう曲だったり、「MILESTONE~胸いっぱいの憂鬱~」っていう曲だったりポップなものを作っていたけど、進化系ではないなあと。亜流とまでは言わないけど、まあ佳曲」
――まあ、その流れ、延長線上。
TAKURO
「そういう曲に対して、自分でも飽きていたからこその「DIAMOND SKIN」であって、「虹のポケット」であって、究極が「CRAZY DANCE」なわけですよ。おれたちのステートメントじゃないけど、今のバンドの状態です。「CRAZY DANCE」を本当にみんな笑うんだけど、あれってライブでの破壊力はヘビー級だからね。ポップソングが持っている要素が全部あるんじゃないかっていう。覚えやすいとか、60年代のシングルみたいに短いとか。なんか知らないけど元気でる、みたいな。この3曲は、1曲目は佐久間さんプロデュースで、2曲目はKoniyoung(小西康司)をエンジニアに迎えてのセルフ(プロデュース)、3曲目は函館ライブの集大成の「CRAZY DANCE」。2013年、19年目にして、この振り切り方ができるのなら、GLAYは面白いなあって思うもん(笑)」
――そして、ライブで節目を作るGLAYにとっての年末のACOUSTIC MILLION DOLLAR NIGHT。アコースティックライブそのものは、かつてメンバープロデュースライブの時とかありましたけど、今回アコースティックに振りきれた意味を教えてください。
TAKURO
「今回は久々に出たGLAYの余裕ですよ。2006年の武道館3デイズライブ以降、結構みんな悔しさを跳ね返すとか、いまに見ていろとか。」
――倍返しだとか(笑)。
「それはもう、その気持ちでやってたから。日産スタジアムもそうだし。長居になるともう少し余裕があったかな。でも間違いなくその前の年の、We ♡ HAPPY SWINGという幕張でのファンクラブのイベントも、東日本大震災以降4ヶ月くらいだったから、あれもまた異常なテンションというか、緊張感の中でやったでしょ。長居のHOTEL GLAYくらいから少し余裕が出てきたのかもしれないね。まあご存知の通り、函館ライブはステージがないところだから、それを全部、東京や札幌から持って行った。2万5千人も呼ぶのに橋が一個しかないとか。ケガして中止になったら、故郷ごと失ってしまうとか。その合間合間のツアーも、自分たちのレーベル、自分たちの事務所主導で制作も全部やって、そういう意味では一個一個異常な緊張感だったんだけど、これは久々に気楽なGLAYが見れるかもしれないね。(お客さんは)みんなモバイルファンクラブの会員だったりもするから、はじめましてではないわけですよ。有名、無名関係なくいい曲は、いいっていう共通の認識があるからね。なので、リラックスできるんじゃないんですかねえ(笑)また来年にはGLAY EXPOっていう最大の山があるわけで。そのときはまた同じような緊張感でもって、東北の人と新たな一歩を踏み出す、という大きなテーマもあるので、それは全身全霊をかけていかねばならない仕事だと思うけど。アコースティックライブは素顔のGLAYちゃんというか(笑)そういうライブになると思う」
――僕は今年の函館ライブを体験して、ずっとリーダー(TAKURO)が言っていた「ライブを通して現実は具体的にどう変わるのか?」っていうことが、本当に目の当たりにできたと思っているんです。街が変わるっていうのはこういうことなのか。人が動いて、そのエネルギーが土地に浸透していくっていうのはこういうことなのか、っていうことを、それこそ99年の幕張のGLAY EXPOよりも感じられましたよね。
TAKURO
「例えば、居酒屋さんが函館ライブで普段の5倍の量を仕入れました。冗談じゃないよと、余っても知らないからね、GLAYのせいじゃないからね(笑)と。けど、その期待を日々自分たちは持って生きてるか? ってことだよね。だから2020年、東京オリンピックで何かが変わるかもしれない、前向きになるかもしれない、沈んだ日本が活気を取り戻すかもしれないっていうようなことに近いものであったし、(1964年の)東京オリンピックのときはそれをきっちりと、やり遂げたんだろうね。そこから日本の敗戦以降の盛り上がりを70年代を通して体験していくわけだけど、そのピークが90年の前くらいまでで。でもそういう、人は人に期待していいんだ、人は<いま>に期待していいんだ、明日に期待していいだ、そしてそれを裏切られることなくやり遂げられたとき、佐伯さんは<時代>って呼ぶんだろうけど、そういう錯覚を信じてしまうくらい感激した」
――その、錯覚だってわかっているのに、そこに自分を投影できるか、というか共鳴できるか。そこに錯覚のリアリティがあると思う。活字にすると、妙なニュアンスだけど。
TAKURO
「もちろん、今までもこれからもGLAYはGLAYなんだろうけども、やっぱりメンバーの意識もあそこ=函館ライブで変わったんじゃないかな。まあTERUはステージで4年後とあそこで言ったけども、当然毎年できるエネルギーがないもんね。時間もかかるし、エネルギーも膨大に使うし、毎年やってくれって市民の人たちは言ってたけれども、本当に4年に1回が限度でしょうと。アイディアも含めて、金銭的な面も含めて、すべてですよ。だけど、やっぱり自分たちが長居スタジアムで宣言した未来を公言するバンド、そのこと自体のリスクも、時間を進めるにつれ、すごいあるけれど、それでもなお、GLAYがGLAYであるってことは、未来をひとつずつ約束して、それを果たしていくことなんだな、と。だから本当に長居スタジアムで決心し、覚悟したものっていうのは、確実に自分たちの中に根付いているし、そうさせているしね。言い聞かせてもいる。言い聞かせることによって、自己暗示じゃないけど、ものすごいパワーを生んだのも確かだし。これが来年は東北でのGLAY EXPOっていうところに活かされるのだろうし」
――ステージのうしろに函館山は見えなかったけどね(笑)
TAKURO
「危なかった、俺はステージのうしろに函館山あるから、ステージなんかいらないんじゃないかって言ってたんだけど(笑)金もかかるし、なんていって(笑)あんな見えなくてステージがなかったらね、デパートの屋上の営業みたいになっちゃってたよね」
――でも霧と雨のGLAYっていうのも、よかったよ。
TAKURO
「もちろん実質、雨に降られなかったこの20年っていうこともあって、雨に降られたときのGLAYはどうなんだ?と。結果、メンバーみんなの振り切れっぷりは頼もしいというか、俺の大好きなGLAYだよね。こうじゃないとね、っていう。ちゃんと演奏しようとか、ちゃんと歌おうとかではなくて、ここまで来たらアホになってお客さんもこの豪雨を乗りきれるというか。もう音楽っていう体(てい)ではなくていい、と思ったもんね。」
――ライブでやってることは音楽だけど、支えている精神は音楽をやっているものではない。
TAKURO
「本当に。もう<寝るな>じゃないけど、<頑張れよ>じゃないけどさ。そういうメッセージだろうね。」
――さて、今回の「DIAMOND SKIN」と「虹のポケット」は、両方ともリーダーが培ってきたものの中の、核みたいなものを取り出しているような気がしますけどね。
TAKURO
「今回は49枚目、その辺を脇から固めるじゃないけども、自分のなかで、いまGLAYはどういう状態なんだろう、いまどの地点にいるんだろう、ソングライターとして、ギタリストとして(考えて)、49枚目かと。実は本当を言うと、このシングルは本来は出るべきでなかった。出す予定がなかったんですよ。GUILTYセッションのときに、最終工程のあたりで「DIAMOND SKIN」が生まれて、俺はこの曲が大好きで、一番この曲が出るべきときに、出してあげたいと。リリースタイミングとかそういうのじゃなくてね」
――「DIAMOND SKIN」の歌詞はひとりのナレーター的に書いていった?
TAKURO
「いままで、人生の芯を食うみたいなものを目指して悲劇も喜劇も書いてきたけれど、こういったある意味、禁断の恋、言ってみたら不倫みたいなものをGLAYの持っている面として一番避けてきたというか。まあバンドの感じがそんな暗い感じでもなかったしね」
――"あえて堕ちていってやる"みたいなバンドも多かった中……。
TAKURO
「これはもしかすると、ロックナンバー。要するに80年代歌謡曲じゃない? 歌詞でいったらこれ完全に、工藤静香と松井五郎の世界じゃないですか。でももう歌えるんじゃないのかな、と思って。個人的にはこういった物語は書いてきたけど、それをGLAYに持っていく、持って行かないは全然別の話だったので。それよりもやっぱり「Bible」だったり、たとえば「Precious」だったり、そういう作品を・・・、特に「SAY YOUR DREAM」が出来て、「Bible」に行ったときに、なんか俺、いまの自分における、人生のなんたるかをちょっとわかったかもと思ってね。「虹のポケット」ってどんな印象ですか?」
――ひとことで言えば"懐かしいGLAY"。
TAKURO
「らしいですよね。確かに最近やってなかったのかなっていう。この手の曲を。要するに「グロリアス」みたいなもんでしょ。
TAKURO
――あれの進化系なんですよ。
TAKURO
「だから「グロリアス」があるから、もういいやっていう。また納得できる進化系ができるまでは、手をつけないんだね、きっと。前の「4 ROSES」っていう曲だったり、「MILESTONE~胸いっぱいの憂鬱~」っていう曲だったりポップなものを作っていたけど、進化系ではないなあと。亜流とまでは言わないけど、まあ佳曲」
――まあ、その流れ、延長線上。
TAKURO
「そういう曲に対して、自分でも飽きていたからこその「DIAMOND SKIN」であって、「虹のポケット」であって、究極が「CRAZY DANCE」なわけですよ。おれたちのステートメントじゃないけど、今のバンドの状態です。「CRAZY DANCE」を本当にみんな笑うんだけど、あれってライブでの破壊力はヘビー級だからね。ポップソングが持っている要素が全部あるんじゃないかっていう。覚えやすいとか、60年代のシングルみたいに短いとか。なんか知らないけど元気でる、みたいな。この3曲は、1曲目は佐久間さんプロデュースで、2曲目はKoniyoung(小西康司)をエンジニアに迎えてのセルフ(プロデュース)、3曲目は函館ライブの集大成の「CRAZY DANCE」。2013年、19年目にして、この振り切り方ができるのなら、GLAYは面白いなあって思うもん(笑)」
――そして、ライブで節目を作るGLAYにとっての年末のACOUSTIC MILLION DOLLAR NIGHT。アコースティックライブそのものは、かつてメンバープロデュースライブの時とかありましたけど、今回アコースティックに振りきれた意味を教えてください。
TAKURO
「今回は久々に出たGLAYの余裕ですよ。2006年の武道館3デイズライブ以降、結構みんな悔しさを跳ね返すとか、いまに見ていろとか。」
――倍返しだとか(笑)。
「それはもう、その気持ちでやってたから。日産スタジアムもそうだし。長居になるともう少し余裕があったかな。でも間違いなくその前の年の、We ♡ HAPPY SWINGという幕張でのファンクラブのイベントも、東日本大震災以降4ヶ月くらいだったから、あれもまた異常なテンションというか、緊張感の中でやったでしょ。長居のHOTEL GLAYくらいから少し余裕が出てきたのかもしれないね。まあご存知の通り、函館ライブはステージがないところだから、それを全部、東京や札幌から持って行った。2万5千人も呼ぶのに橋が一個しかないとか。ケガして中止になったら、故郷ごと失ってしまうとか。その合間合間のツアーも、自分たちのレーベル、自分たちの事務所主導で制作も全部やって、そういう意味では一個一個異常な緊張感だったんだけど、これは久々に気楽なGLAYが見れるかもしれないね。(お客さんは)みんなモバイルファンクラブの会員だったりもするから、はじめましてではないわけですよ。有名、無名関係なくいい曲は、いいっていう共通の認識があるからね。なので、リラックスできるんじゃないんですかねえ(笑)また来年にはGLAY EXPOっていう最大の山があるわけで。そのときはまた同じような緊張感でもって、東北の人と新たな一歩を踏み出す、という大きなテーマもあるので、それは全身全霊をかけていかねばならない仕事だと思うけど。アコースティックライブは素顔のGLAYちゃんというか(笑)そういうライブになると思う」