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TAKURO WEBインタビュー

Vol.51 TAKURO WEBインタビュー
東京ドーム公演を終えた今、20周年を改めて振り返って

――去る5月30・31日、東京ドーム公演を大成功で終えられました。実際に東京ドームのステージに立たれて、いかがでしたか?

TAKURO
「白いジャケットを取りに来ます。だから、10年後にまた会おう」という、2005年の東京ドームでTERUが口にした言葉が、いつ頃からか"約束"と呼ばれ始めて。なかったことにして流すことも出来たけど、きっと、自分たちにも課したんだと思う。「この約束を守らないとGLAYがGLAYでなくなるな」って。いくつかあるGLAYの良さの中で、そういう"信じられる大人像・人間像"というのは、とても大きいと思うんだよね。「ロックをやるにはいい人過ぎる」「行儀がよすぎる」とは、デビュー当時から本当によく言われて 来たことだけれども、俺にとってはそんなことはどうでもいい話で。この4人がそれぞれの人生を豊かにしていく過程で、第三者を巻き込みながら、その人たちの人生をより鮮やかなものにしていきたいなぁ、と。それがGLAYの音楽であり存在そのものなのだとしたら、信じるに値する行動を常に取っているかどうか? というのは、いいメロディー・いい詞を生むこと以上に、40代のGLAYには大事なんだよね。(ロックバンドの魅力とされる)"危うさ"みたいなものは、本当にお伽噺の話で。この同時代を生きる、俺たちと同い年ぐらいの人たちに送るメッセージとしては、信じるに値する行動を取り続けることは、その"危うさ"よりももっと難しいことのような気がするから。その難しいことに挑んでいる背中は、少なくとも何かを物語るだろう、と思うんだ。だから10年間、とにかくこの約束だけは守ろうとした。子どもが幼稚園の時から教わるようなことを、無邪気に無心に無垢に守り続けることができたら、それはもうヒーローみたいなものじゃない? だって、それは難しいことなんだから。4人それぞれがあちこちでギリギリのやせ我慢をしながらも、ああいった華やかな東京ドームの舞台を用意できたのは、本当によかった。日程も、「20周年のうちに」とは言っていたけれど、1週間ズレての開催だったから、それもギリギリだったし。でも、やっぱり9月開催では何か違っただろうし。それをスタッフの人たちもよく理解してくれて、粘りに粘ってあの舞台があった。GLAYは一段も二段もステップアップしたと思う。それは、バンドの格とかの話ではなく、精神的に。東京ドームを"やり遂げた"ということは、今後の俺にはすごく自信になるだろうなぁ、と。それはただただ、その小さな約束を守った、という1点のみにおいてね。

――元々は"約束"ですらなかったかもしれない言葉だったのに……。

TAKURO
だけど、何かにすがって生きていかなきゃ耐えられない時代もあったからさ。その小さな目標に向かって、それを夢とまで呼べるようにするには、壮大なサーガがあったよね。ファンの人たちもそうだろうけど、4人もまたその夢にすがっていたし、その夢があったからこそ、普段出せない力を出せたし、耐えられないことも耐えることができた。だから俺は、やっぱり夢は持っていたほうがいいと思う。自分じゃない自分に出会える、というかね。自分が知っている世界というのはいかに小さかったか。そんなふうに気付かされることばっかりだよ。

――最終日のアンコールでは、デビュー曲「RAIN」を、恩人YOSHIKIさんとともに披露なさいました。あの時、TAKUROはSUGIZOさんモデルのギターを弾いてらっしゃいましたよね? どんな想いを込められたのでしょうか?

TAKURO
もう半年ぐらい前かな? SUGIZOさんのことが愛し過ぎて、「今日から親友って呼んでいいですか?」と、夜中の4時ぐらいの俺ん家で言ってしまったことがあったんだよね(笑)。彼は非常にスマートな男だから、「何言ってんだよ、ずっと親友じゃない?」と言ってくれて、俺はもう涙が出る程うれしかった。YOSHIKIさんが俺たちを見出してくれて、SUGIZOさんは俺たちにいろんな音楽、音楽家としてのあるべき姿を教えてくれて……だから俺はもちろん彼らの後輩ではあるんだけれども、「YOSHIKIさ~ん! SUGIZOさ~ん!」と慕っていれば済んだ20代の頃とはやっぱり、今は違うと思うんだよね。だって俺、もう44歳でしょ? 皆も50近いわけじゃない? そうなった時に、彼らが生きて来た本当に長い道のりに対して、心からの尊敬を示したいし、あの2人が払った犠牲に対して、音楽的な結果であれプライベートのことであれ報われて欲しいし、とにかく、もっともっと幸せになって、もっともっと羽ばたいて欲しい、と思うんだよね。20年経ってまたGLAYが東京ドームに立てて、そこにYOSHIKIさんを呼ぶことができた。「あなたが拾ってくれたGLAYというバンドは、こんなにも仲間に祝福されてる」という風景を見せたかったし、HIDEさんのこと、TAIJIさんのこと、そしてSUGIZOさんが背負った重荷みたいなものを想うと、あそこにはSUGIZOさんにもいて欲しかった、というか……。

――その想いが形となって表れたのが、SUGIZOさんモデルを持つ、という選択だったんですね?

TAKURO
まぁ、「弾いて」とお願いしたらたぶんやってくれただろうけど、それはそれで何かと大変なので(笑)。あの場面でSUGIZOさんモデルを使ったのには、そういう想いがあったんだよね。X JAPANという日本を代表する素晴らしいバンドの内側は、皆が思っている以上にやっぱり大変なものだったし、それを背負っているYOSHIKI・SUGIZOという男が、あまりにも誇らし過ぎて。LUNA SEAが終幕して、また復活して、というのも近くで見ていたから、その大変さもよく分かるし、「SUGIZOさん、よかったね」って本当に思うもん。LUNA SEAが復活して、X JAPANがあって、自分の好きな表現がいっぱいできて、いろんなことを乗り越えて、今は一時よりは元気そうだし。たぶん、ファンの人たちにとっては、20代の頃のGLAY、X JAPAN、LUNA SEAのイメージが強烈なんだろうけれど、皆が思うような関係とは、今はちょっと違うんじゃないかな? いつまで経っても"高3と高1の先輩・後輩の間柄"みたいな感じではなく、今を必死で頑張って生きている男としての何かしらが、あのステージにはあった気がするんだよね。

――TAKUROからのそういった労いは、お2人にとってもうれしいでしょうね。

TAKURO
たぶん俺がSUGIZOさんに一番言っているセリフは、「あんた、口縫うよ?」なんだけど。口が悪いから(笑)。でも、俺みたいなアホな後輩・友だちが1人ぐらいいてもいいよね。俺は自分が生きている限り、あの2人がくれた恩に対して、ちゃんと返せる準備をいつでもして、何かあったら駆けつけられるような友人でありたいと思うんだ。まぁ、そんな友だちは彼らにはいっぱいいるんだろうけども。2人とも忙しそうだから、たまに会った時ぐらいアホな話をして、「この間HISASHIのこんなバカなことがあって~」みたいな感じで、大爆笑していただければな、と。そんな気持ちの東京ドームでしたけどね、特にアンコールは。

――数時間のコンサートという枠に収まらない、長く壮大な人間ドラマを観たような感慨がありました。

TAKURO
……いや、だって、YOSHIKIさんがこれまで経験して来たのは、俺で言うとJIROとHISASHIを死という形で失う、ということでしょ? 耐えられないよね。でも、耐えるしかないもんね。「生きて行くしかないじゃない」ってことだから。そう思うと本当に、YOSHIKIさんの孤独や悲しみは、想像しきれないほどなんだろうけれど……そこでGLAYの存在が、少しでも「アイツらも頑張って続けてるしな」という、心の安らぎの一つになれればな、と思う。

――そんなドーム公演の後、LUNATIC FEST.(6月27・28日。GLAYの出演は28日のみ)にも出演なさいました。最強にして"最狂"と謳われていたフェスですが、パンフレットに寄せたTAKUROのコメントには、出演者の中で「狂ってないのはGLAYだけです!」と(笑)。

TAKURO
(笑)。いや、だっておかしいでしょ? 「SUGIZOさん、俺たちは狂ってないっすよ?」と言ったら、「充分狂ってるよ(笑)」って。「どこがですか!?」という。狂ってないよ、全然! 「SHADE」(LUNA SEA楽曲のカバー)前のHISASHIのMCを、「随分真面目だったね」と言ったら、「用意した言葉の8割も言えなくて、堅かった。やり直したい!」って。本当はもっと狂ったことを言うつもりだったのに、SLAVEたちを前にして怖気づいたらしい(笑)。

――(笑)。全出演バンドの中で、LUNA SEAの曲をカバーなさったのはGLAYだけでしたよね。

TAKURO
これはGLAYらしい間抜け感なんだけど、本家もやってたんでしょ? ライブ・レポみたいなのを読んで、「かぶってるやん!!」って(笑)。

――LUNATIC FEST. への出演は、日付的には21年目に突入してはいましたが、20周年イヤーの活動の一環として、どんな位置付けだったのでしょうか?

TAKURO
いやぁ、「すげぇ20周年だな!」と思ったよ。だって、函館で『ロッキンf』(※1)を読んで、「脚が見えないぐらい(速い)2バスの、すげぇバンドがいるらしい」と知って、ソノシート(※2)をHISASHIの家で聴いていたのがX(JAPAN)で。当時JIROとはまだ知り合いではなかったけど、和山少年も同じく、やりきれない爛れた10代にXという存在に希望を見出したわけじゃない? それで東京へ来て、「LUNA SEAというすげぇバンドがいるらしい!」と興奮し、エクスタシーサミットのビデオを観て、「すげぇカッコいい! ヴォーカルそっちのけでこんなに大暴れしていいんだ!」と驚いてね。そんな人たちと一緒にステージに立っているわけだからさ。長嶋に憧れた野球少年が巨人に入ってV9をやるようなもんだよね!……という譬えは、平均年齢22歳の読者の皆さんには全然伝わらないだろうけれども(笑)。とにかく、幸せだった。「こんな贅沢はない! なんというご褒美を俺たちにくれたんだろう?」と思ったし、感謝だよね、本当に。

※1:ロッキンf
ヘヴィーメタルを中心とした音楽雑誌。創刊当時は洋楽中心だったが(創刊号の表紙はジミー・ペイジ)徐々にジャパニーズメタル中心の雑誌となり、90年代からはいわゆるビジュアル系のバンドを大きく取り扱うようになる。インディーズバンドのソノシートがおまけに付くようになったのは1987年から。その中でも1988年6月号に付属されていたXの「KURENAI」のソノシートはイントロがYOSHIKIによるピアノ演奏であるレアヴァージョンであるために現在はプレミア価格が付いている(Wikipediaより)。
※2:ソノシート
極薄のレコード盤。音質は劣るものの手軽さと安さで世界的に普及した。ソノシートは朝日ソノラマ社の登録商標で、「音の出る雑誌」という触れ込みで『月刊朝日ソノラマ』という雑誌を発行。また子供向けに特撮番組やアニメなどの主題歌やダイジェストを収録した雑誌も数多く発売された。1970年代から1980年代にかけて、学年誌の付録として配布されていた。上記のXのアイテムのようにコレクターアイテムになっているものも数多い。


――BUCK-TICK先輩も出てらっしゃいましたしね。

TAKURO
「(艶やかな低音ヴォイスで)TAKUROくん、元気?」と声を掛けられて、「櫻井(敦司)さんじゃないっすか~!!!」っていう。そんなやり取りもあったよ。最後、出演者総出のセッションでは、SUGIZOさんが俺にステージから「飛べ、飛べ!」って。「伝説になるよ」と言われたんだけど、「ヤですよ! 骨折れますよ!!」っていう。ヒドい先輩だよね(笑)! あの後の打ち上げでTERUさんはきっちりとGEORGE(※3)先輩と熱い契りを交わしたらしい。すごい夜だったな。


※3:GEORGE
1987年にExtasy RecordからデビューしたLADIES ROOMのリーダー・Baaa。LUNATIC FEST.と連動したニコニコ生放送で放送禁止用語を連発。スタジオから強制退去という自由奔放な言動で話題になった。ニコ生の盛り上がりのピークはこの瞬間だったとも言われている。



――この記事が掲載される頃には既に終了していますが(※取材は7月中旬)、函館アリーナ公演(7月25・26日)にはどのような意気込みで臨まれますか?

TAKURO
こけら落とし公演だから、主役は函館アリーナの建物。俺たちはもう、刺身で言ったらツマです。たんぽぽの小さいヤツ、ないしは、お寿司を仕切るあの緑のヤツだから。メインは会場。だから、俺たちを観るな! 会場の隅々を見なさい!

――(笑)。20周年をずっと走り続けて来られましたが、函館アリーナ公演が終わったら少しはお休みできそうですか?

TAKURO8月末にレコーディングをするし、まだいろいろあるけれど、この3年間の忙しさ、東京ドームの大変さに比べれば、ラクだよね。函館アリーナは"約束"じゃなくてこけら落としのお祝いだし。ドームの時はやっぱり10年の重みがあったから、精神的にはキツかった。あそこですべて出し切って、ガソリンタンクに黄色いマークが点いたわけだ。でも、俺には予備タンクがあったんだね。それでLUNATIC FEST.は頑張ったし、チャットモンチーさんとの対バン(7月1日)もできたわけだ。でも、今はもう、予備タンクに黄色いマークが点いてるよね。

――さすがにもう限界、という?

TAKURO
そう。最近は疲れのあまり、酒を飲むとちょっと荒れるもん。ヒドいことを言っちゃうんだよね。次の日、落ち込むんだよなぁ……。
――でも、これほどお忙しければ当然じゃないでしょうか?

TAKURO
来年の7月30・31日に、ファンクラブ会員限定ライブ「HAPPY SWING 20th Anniversary SPECIAL LIVE ~We ♡(ハートマーク) Happy Swing~ Vol.2」が開催される、と発表されましたよね。2011年にも一度やったんだけど、それは俺自身けっこう楽しみにしてるかな。ファンクラブの人たちの「当選した・落選した」という声を聴くたびにいつも心を痛めているけれど、そのライブは来たい人が全員来られるはずなので。それまでは是非、DVD&Blu-ray 『HAPPY SWING 15th Anniversary SPECIAL LIVE 〜We ♥ Happy Swing〜 in MAKUHARI』(※4)を観て待っていていただきたい。初日だったかな? 俺たちは四方から現れ、かぶっていたマントをバッ!と取る、というオープニングなんだけど、TERUさんがマントを取ったら、衣裳まで脱げてダルーンとしたタンクトップ1枚になってしまい、マントと共に衣装が飛んで行ったという(笑)。なので、冒頭2曲ぐらいの間は、大友○平か加勢○周ばりのタンクトップ姿。あれは是非、観ていただきたいですね。TERUさんはすげぇな……ホント、退屈しねぇわ! 是非もう一回、脱げて欲しい! 


※4:『HAPPY SWING 15th Anniversary SPECIAL LIVE 〜We ♥ Happy Swing〜 in MAKUHARI』
2011年7月30日&31日に開催されたファンクラブ会員限定ライブをパッケージしたアイテム(2011年12月14日発売)。
オフィシャルストアG-DIRECTで好評発売中!
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■2日間をコンプリート

HAPPY SWING 15th Anniversary SPECIAL LIVE 〜We Love Happy Swing〜 in MAKUHARI-Complete Edition-

■7月30日公演のみを収録

HAPPY SWING 15th Anniversary SPECIAL LIVE 〜 We Love Happy Swing〜 in MAKUHARI 2011.7.30

■7月30日公演のみを収録

HAPPY SWING 15th Anniversary SPECIAL LIVE 〜 We Love Happy Swing〜 in MAKUHARI 2011.7.31