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TAKURO WEBインタビュー

7月9日発売20th Anniversary 50th Single「BLEEZE~G4・III」に『外灘SAPPHIRE』を提供したTAKURO。ニューシングル、20周年、そしてGLAY EXPOについて語る連続インタビュー第3弾。


★「外灘SAPPHIRE」について
■TAKURO
結論から先に言えば、「外灘SAPPHIRE」で少なくともGLAYのポップスの"ひな形"からは、飛び出すことができたのではないかと思ってるんです。昔から「外灘SAPPHIRE」的な楽曲には何度もトライしてきたんですが、やっぱり20年掛かってできることっていうのがあるんだなと、今思ってるところですよ。「明日があるから頑張ろう」とか「止まない雨はない」とか、そういう歌ではない歌ね。「BLEEZE」をわりと早い段階からTERUに聴かせてもらっていたので、「あの曲があれば、もうぜんぜん大丈夫」と思っていた。自分の作曲への改善命令を自分でずっと出してきて、『JUSTICE』と『GUILTY』(※)の2枚のオリジナルアルバムで、だいぶ満足していたんですよね。だから"前と違うことをやる"とかの次元ではなくて、個人的に本当にやりたいことを「外灘SAPPHIRE」ではできた。

つまり、自分で作ったひな形を自分でデストロイする段階ではないと?

■TAKURO
そう。GLAYの4人が集まった時にGLAYにしかなりえないグルーヴを、時々疎ましくも思うし、自分のことも含めて「何か他にないのかな?」と思う時もある。でもそれは人間の当たり前の流れや成長を否定してしまうことにもなりかねないと思ってきたんだけど、ようやくそれが一概に否定することでもないんだと思えるようになったというか。俺は近年、ザ・ローリング・ストーンズがとても好きなんだけど…ザ・ビートルズはそれこそ1曲毎に世界が違って広がる作品作りをしたけど、ストーンズはアルバム1枚よりももっとざっくりしたグルーヴを活動で示した。ブルースを大事にすればハズせない"定点"があるにしても…GLAYも自分たちの今あるグルーヴを否定せず、どんな突飛な曲でもポップな曲でもトライしてみれば、GLAYが醸し出す"色気"みたいなものが出るんじゃないか? そう思って「外灘SAPPHIRE」を書いたんですけどね。1920年代あたりの上海をイメージしながら。


そう、外灘(わいたん)というワードとかが歌詞に出てくる。

■TAKURO
歌詞を書きながら"脳内は旅をしている"というような感覚になりましたね。まあ、「JUSTICE [from] GUILTY」(※)あたりからそうした"異邦人感覚"はありましたけどね。自分の中では大切にしているんです。ギターのリフも、ギターを持って弾いてしまうと指板の上で整理されてしまうから、口ずさんだまま、そのいかがわしさすらも音にしようと。


こういったいわゆる"リフもの"楽曲が、リーダーの引き出しにあっては異端なものなのか? それとも今や中心部分に属するものなのか? その点はどうですか?

■TAKURO
20年やってきて、これまでは1年に多く発表できて15曲だとして、メイン・ソングライターとしてそんなに一人よがりな楽曲は出さないでいたし、GLAYはメンバーとの結び付きが強いと言われても、お互いがお互いを理解するには、それこそ20年かかったとも言える。デビューして10年ぐらいで「外灘SAPPHIRE」をメンバーに聴かせても理解されなかったかもしれないし、テクニックだけでいちおうは形になったかもしれない。つまりは、異端や中心は時とともに変わるし、「○○みたいな曲」が何曲あってもしょうがないからね。そう思えたのは「BLEEZE」ができたからですよ。TERUは東日本大震災後いち早く自分のアクションを起こした人だし、誰よりもファンの人たちの気持ちを受け止めた。そんな彼がEXPOのテーマ曲をかくべきだと思ったしね。


★20周年について
■TAKURO
GLAYの場合は「物語は続いていく」というテーマが根底にあるからね。TERUが言うように「GLAYは解散しない」と。解散しないバンドが何を見せられるかといえば、ある種の成長物語しかない。人間はどこまで人を受け止められるのか、それが仕事の場であれ、プライベートであれ、そのことをドキュメントとして出せるバンドはGLAYしかないんじゃないか? とすら思う。それが楽しい。結果、リーダーが変わってもいい。むしろそうなることを挑発するのが俺の役目じゃないか?と思う。GLAYを挑発したいし、挑発されたいんですよ。その意味で20周年の今回の作品は『G4・III』なんです。
20周年サイトはコチラ(スマートフォンのみ対応)

★EXPOについて
■TAKURO
前回のEXPOから時間が空いたのは、メンバー全員EXPOの意味を見失ったからですよ。1999年の20万人動員、2001年の3大都市での公演、2004年のUSJとのエンタテインメント結合…そこから先、「もうあの時の思い出があるじゃないか?」「21万人集めたらそれが何なの?」という。考えても答えは見いだせなかった。そして2011年に震災があり、日本中の人が問いましたよね?「自分に何ができるのか?」と。そこで、現地に行く人もいれば、遠い場所から援護をする人もいて、GLAYができることは、EXPOを震災から3年後に置くことで、現状を見直すこと、復興の歩みの手助けをすること、魂を鎮める力が音楽にはあると信じて、音楽を奏でること…それが一度仕舞ったEXPOが再度成就できることなのかもしれないと思った。今回のEXPOを成功させることができたら、"EXPOが生きた証"になり得ると思う。1969年のウッドストックは、"のちに検証されるアイコン"のようになったでしょう? EXPOもそんなふうになれば、意義を誇れるんです。「そのライブ、去年やっても来年やっても同じじゃない?」っていうライブはやりたくないんです。そういう意味では、再び意義を見いだしたEXPOが2014年にできるというね。だから全力でやりますよ。
GLAY EXPO 2014 TOHOKUの詳細はコチラ

<Review>
大局的に見れば、GLAYの歴史はTAKUROの楽曲が作ってきたと言ってしまってもいい。だがそこには"GLAYのコンポーザー"であるところのTAKUROの比重が大きく、純粋に一人のコンポーザーとしてのTAKUROから表出した楽曲とはいささか誤差があった。もちろん"GLAYのコンポーザー"をTAKUROが選択したことはすこぶる正しいことであり、そこにTAKUROの責任感と才能は注ぎ込まれたのである。しかし歳月を重ねることにより、「4人でひとつの人格足りえるGLAY」に奥深さが生まれるのだとしたら、TAKURO一人のコンポーザー的欲求を受け止めるGLAYという人格ができあがっても不思議なことは全くない。パーカッションのプログラミングがSEのように鳴るところから始まる「外灘SAPPHIRE」は、HISASHIの"圧縮ディストーション"によるギター・リフとTAKUROの高音のソロ的ギターが重ねあって"古傷のような暑熱"を浮かび上がらせる。歳月を重ねるほどに清算することはできず、むしろ振りほどけないものにさいなまれる感覚を歌うGLAYを、誰がその初期に予想しただろうか?"あの時からの距離"に胸が締め付けられる楽曲である。