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GLAY 20th Anniversary LIVE BOX VOL.1 REVIEW

ローリングストーン日本版シニアライター・ジョー横溝

<序文>
今年デビュー20周年イヤーとなるGLAYの2000年代に入ってからの厳選された3ステージのライヴがこのDVD/Blu-rayボックスで体感できる。
GLAYがデビューしたのは1994年。この20年間に日本は、もっと言えば世界は大きな変化を遂げた。歌は世につれという言葉もあるが、日本を代表するロックバンドであり、尚且つチャートシーンも牽引してきたGLAYの音楽。特に肉体をフルに使い、今という瞬間にサウンドを刻むライヴ映像を観ていると、この20年間の我々の変化や、我々が無くしてしまったもの、そしてこれから進むべき道が見えてくる。

GLAY EXPO 2001"GLOBAL COMMUNICATION"北九州市マリナクロス新門司特設ステージ
"GLOBAL COMMUNICATION"と名づけられた2001年のGLAY EXPOは北海道、東京都、福岡県の3都市でそれぞれ異なったステージ、ステージコンセプトで行われた。中でも本映像の舞台になっている福岡県・北九州市マリナクロス新門司特設ステージのライヴは特別な意味を持っていたと思う。と言うのも、この日ステージには、アジアからのバンドも4バンド出演し演奏を繰り広げている。サブタイトルのGLOBAL COMMUNICATIONが示す通り、音楽を通しアジアの、世界とのコミュニケーションを図ろうという主旨のステージだ。
翻って2014年現在、新聞・週刊誌の誌面には、嫌中・嫌韓・反日といった言葉が踊り、残念ながら政治的には日本と隣国は不安定な関係の真っ只中にある。その一方で音楽や映画やファッションといったカルチャーを通じ、日本はアジアの国々とLOVE&PEACEな関係を築いている。少し大袈裟だが、カルチャーというものは政治よりも先に進んでいるのかもしれない。ならばカルチャーを通して日本はアジアの平和を築くことが出来るのではあるまいか?そんなことを今思うよりも前にGLAYはこの2001年のEXPOで既に実践していたというわけだ。
GLAYがステージに登場する前にGLAYが"仲間"と呼ぶアジアのバンドが演奏しただけではなく、GLAYのステージでも9曲目に演奏された「Super Ball 425」でこの日出演したタイのDOMEと共演を果たしている。また南流石が振り付けを担当し会場のみんなで踊った「ヤンバルクイナ(イノキのリズムで)」はアジアに対するLOVE&PEACEなメッセージを強烈に放っている。またアジアからの出演者への想いを込めて演奏されたバラッド「ひとひらの自由」はステージ前半のハイライトだ。そしてなんと言ってもクライマックスはアンコール最後の曲「I’m in Love」。出演者全員がステージに上がり、アジアの平和を、アジアがひとつになることを、そんな大きな愛がここにあることを歌を通してぼくらに教えてくれる。
そして、もうひとつこのライヴには大きな意味がある。アンコールの5曲目に演奏された「ACID HAED」にこの日アジアからの4バンドに交じり出演したThe d.e.pのメンバーであり、GLAYのプロデューサーでもある佐久間正英氏がギターで演奏に参加していることだ。その佐久間氏がスキルス胃ガンのため今年1月に他界した。ただ、天国に逝く直前まで佐久間氏は海外でライヴをしていたことは音楽ファンならご存知だと思う。まさにその生涯を音楽に捧げた男だ。去年の暮れ近く、GLAYのメンバーにインタビューした際、TERUが佐久間氏のことを口にしてくれた。「佐久間さん、病気と戦いながらこれから海外に演奏に行くんですよね。心からリスペクトします」と。2001年の時点で佐久間氏がこんなにも早く鬼籍に入るとは、当時誰もが予想していなかったと思うが、ステージの佐久間氏はギタープレイを通じ、GLAYに"いつまでも全身全霊で音楽をプレイするんだよ"と話しかけているように思えてならない。
また、先ほど少し触れたアンコール最後の曲「I'm in Love」でも佐久間氏は他の出演者達と共にステージにあがっている。その時にJIROのベースフレットをJIROの後ろから二人羽織のように押さえ、それをJIROが弾いているシーンがある。2人が憎しみあったり対立したりすることはいとも簡単だし、独りでもできることはたくさんある。それでも何かを一緒に作ること、何かを一緒に成し遂げることの素晴らしさを、アジアの平和を願うこのコンサートのラストシーンで佐久間氏が冗談半分で見せているところがなんとも琴線に触れる。
そんなLOVE&PEACEな想いに溢れたライブ故か、このコンサートでのバラットの演奏はどれも秀逸。さきほど前半のハイライトの1つと書いた「ひとひらの自由」に続いて演奏された「HOWEVER」。GLAYファンならずとも誰もが口ずさめるJ-ROCKを代表するバラッド。だがこれほどライブで表現するのが困難曲もないようにも思う。その「HOWEVER」をなんのギミックも加えずTERUは歌い切っている。ロックバンドのライブでテンポの速い曲、攻撃的なパンク系のナンバーがCD音源より素晴しいことは多々ある。
だがバラッドに関してはCD音源の方がいいという場合が多い。だがこの「HOWEVER」とアンコールの1曲目に演奏された「ずっと2人で」はなにせ圧巻、格段に素晴らしく、僕的にはCD音源で聴く(正確には観るだけど)よりこの映像のパフォーマンスの方が琴線に触れる。しかも、何曲もハードなナンバーを歌ったあとにこうしたKEYの高いバラッドをライブで歌えるTERUのボーカリストとしての実力に改めて脱帽する。

ところで、この日のコンサートはアジアからのバンドの出演もありオールナイトで行われた。深夜でも演奏を可能にするため会場は海に面した広大な空き地を使用した特設ステージだった。そこに約8万のオーディエンスが集まった。会場へのアクセスや未成年者の入場問題を含め、幾つもの困難があったようだが、アーティスト達の熱い想いがコンサートを成功に導いた。そして最後の曲「I'm in Love」の演奏の途中、朝日が昇り始め、会場が明るくなっていくのが映像からわかる。その朝日は東京のある東の方角から昇り、アジア諸国が広がる西の方角に向かっていく。それはこのコンサートのメッセージそのもののようでもある。日本の中心・東京で活躍するGLAYというアーティストが放った、愛と平和に満ちたメッセージはこの後、確実にアジアに伝わっていった。そのことはGLAYファンなら知っての通りだ。
映像はあくまでも13年前の過去のものだ。だが、これは過去を振り返るためのものではない。これから音楽が果たしていく役割、日本がアジアで果たしていく役割がそこに示唆されている。音楽は決して具体的な細かいメッセージまでは伝えてくれない。だが、確実に僕らが進むべき道のイメージを与えてくれる。震災後、そうした音楽の役割が顕著になったが、GLAYは既にそのことを2001年の時点で肌で感じ実践していた。それがこのステージの映像からはっきりとわかる。

GLAY VERB TOUR FINAL"COME TOGETHER"2008-2009幕張メッセ国際展示場9・10・11
GLAY EXPO 2001のLOVE&PEACEな映像とは一転して、GLAYのワイルドな一面が堪能できるステージ。演奏もメンバーの表情もとにかくワイルドで艶やか。古典的な表現を借りれば、"セックス・ドラッグ・ロックンロール"というギラギラ感全開の映像だ。
ステージMCでもTERUが言っている通り、2008年のGLAYはアメリカに行くなどしてまさにロックンロールな道を邁進した1年。そのマインドを反映し、選曲もステージ構成もひたすらロックンロールなものとなっているのだ。会場は2万人強のキャパの箱だが、客席はオールスタンディングで、尚且つフロアに田んぼの畦道のように花道が作られている。その花道によって客席はブロック分けされていて、そのブロックのひとつひとつがまるでライヴハウスのよう。メンバーも大きな会場で演奏しているというよりは、幾つも集まったライヴハウスに向けて演奏しているテンションだ。曲の構成もビート感の強いものが目白押し。これぞGLAY流ロックショーといったところ。
その圧倒的なロックショーの仕掛け人が実はJIROだと確信するナンバーがある。まずは本編が後盤に差し掛かるころに演奏された「紅と黒のMATADORA」。ロック色の強いナンバーではあるがストリングスが前面に出る、J-ROCK的な要素が強い曲。そんな立て付けの「紅と黒のMATADORA」が異常なほど身体に刺さる。本映像を観てもらえばわかるが、この曲のJIROのベースが素晴らしい。粒立ちのいい、しかもキレのあるベースラインがメロディラインの後ろで龍の様にうねり、それがBODYに効く。それを序曲にしてその3曲後に演奏されたJIROが作曲を手がけている「SHUTTER SPEEDのテーマ」がもうヤバイ!ロールしたJIROのベースソロから始まり、JIROが最初にリードヴォーカルを取る。そしてTERUへリードヴォーカルはバトンタッチされるのだが、バトンを受けたTERUのテンションもヤバイ!!そして曲の途中で披露されるJIROの爆発寸前のアグレッシブなベースソロパートは圧巻の一言。メンバーのプレイも一気に頂点を迎えている感じだ。後ほどアメリカのGREATFUL DEADというバンドについて少し書こうと思っているのだが、そのDEADのライヴもベーシストでるフィル・レッシュのプレイがステージの出来を左右すると言われている。実際DEADのリーダー、故ジェリー・ガルシアも「フィルに何かが起きたときバンドに何かが起きる」という言葉を残している。そしてそんなフィルに何かが起きたDEADのステージにはロックの神様が降りてくる。GLAYも同様なのではないか?「JIROに何かが起きたときバンドに何かが起きる」。そしてこの曲でその何かが起きているし、ロックの神様がステージに降臨している。もちろん、ロックを信じているあなたにはこの映像を観ればそれがわかるはずだ。
ところで、かつてメンバーにインタビューした際に「ロックとは何か?」と尋ねたことがある。その時、TAKUROが「ロックとはサウンドというよりもマインドやアティチュードや生き様」と言っていたのを想い出した。このステージもまさにそのロックを体現している。メンバーはTERUを始め、ステージと花道を何度も猛ダッシュで走りながら演奏した。かつて1950年代のアメリカで若い世代を虜にしたビート文学の傑作、ケルアックの『路上』では、"激しければ激しいほど、スピードがつけばつくほど、ラウドであればあるほどいい"とエネルギーの讃歌を謳った。この日のGLAYも肉体を酷使し心拍数をあげていくことで、まるで真実に近づいていこうとしているようにも見えた。アンコールの1曲目「生きてく強さ」では、TERUは花道を全力疾走したあまり、ステージに倒れ込んでしまう。曲の後のMCでおどけながら「久しぶりに視界が真っ暗になりました」と言っていたが、恐らく、軽い酸欠状態を起こしたのだろう。そんな風に肉体をピークにもっていった「生きてく強さ」の後、名曲「I'm in Love」が演奏される。愛や平和を叫ぶアーティストは多い。GLAYもそういうメッセージを発しているバンドのひとつだし、この曲はその類の代表的なメッセージソングなのかもしれない。ただ、GLAYのメッセージからはひとかけらの嘘も感じられない。前曲のTERUの猛ダッシュが示すように、エネルギーの讃歌を実践し、究極の状態で、このバンドは本当に信じている嘘のないことだけを歌い、そしてその歌が嘘にならないように全力で生きている。それが演奏から表情から、行動からすべて伝わってくる。だから国境を越え、多くの人たちにGLAYの音楽は支持されるのだ。歌の途中でTERUが「みんなでひとつになろう」と呼びかける。しかも呼びかけるだけではない。メンバー全員楽器を手放し、リズムボックスの音だけを残し、メンバーも花道に繰り出し、まさにひとつになりながらオーディエンスに愛を訴えかける。言葉だけではない身体から染み出してくる音楽。それがGLAYのサウンドだ。そしてそれはTAKUROが言うロックそのものだ。そして、エネルギーのすべてを使い切ったGLAYの本ステージ映像を観た後に不思議なほどの優しさを感じることができる。それがGLAYというバンドの懐の深さでもある。

GLAY MOBILE Presets 5th anniversary special GLAY CHRISTMAS SHOW 2013 winter ~ACOUSTIC MILLION DOLLAR NIGHT
VERB TOUR FINALから一転し、こちらはアコースティックライヴの映像。2013年のクリスマス直前に行われたこのステージでは、GLAYの優しさと温もりに満ちた演奏が堪能できる。
そもそもGLAYのアコースティックライヴというのはいささか意外な気もするが、TAKUROに2年ほど前にインタビューした際にこうしたライヴを企画していることを既に示唆してくれていたことを想い出した。TAKUROは21世紀に入ってからの社会の変化を肌で感じていて、その変化に抗うかのようにこうしたライヴを頭の中で描いていたようだ。
序文にも書いたが、GLAYのライヴを観ると時代というものが透けて見えてくる。日本は2000年代に入って、大きく変化を遂げた。そのひとつが2006年から始まった人口減少というフェーズ。それまで右肩上がりの経済成長を遂げてきた日本だが、人口の減少と共に経済の先行きは確実に怪しくなっていった。それでも経済界は物を売っていこうと、マーケットを作り出すためにコミュニティの解体を促した。昔、一家に一台だったテレビは、ひとり一台の時代になった。パソコンも家族で一台の時代からひとり一台の時代になった。そうやってコミュニティを細分化することでマーケットを確保してきた。だが、その代償として僕らは孤立してしまった。大都会にいながら、恐ろしいほどの孤独を感じるようになった。
もう1つ2000年代に大きな変化があった。それ以前の変化というものは目に見えるものだった。1970年代も80年代も90年代も変化というものは常に目に見えるものだった。新幹線が開通したり、高層ビルが建ったり、携帯電話の大きさが小さくなったり…目に見える変化だった。ところが、2000年代に入っての変化は我々の知らないところで進んでいった。それがインターネット社会の出現だ。例えるなら、蓋がしてあるお椀の中身が、知らない間に器の底が抜けて、中身がそっくり入れ替わっていたような感じだ。そのおかげで、21世紀になって進んだ孤立化は静かにしかも目に見えない状態で進んで行った。
そして2011年の東日本大震災はいみじくも我々が2000年代にそうやって大切なものを失ってきたことを教えてくれた。TAKUROはこのことを機敏に感じ取っていたのだと思う。多くのアーティストがライヴもコンピューターに頼り、より大掛りでよりミスの少ないものにしていったトレンドと逆行し、GLAYはなるべくコンピューター制御の呪縛から解き放たれていきたいと2年前のインタビューで既に語っていた。そしてその理由を「より人に届くから」と言っていた。この日のライヴは、そうした想いを具現化したライヴだった。ノリというよりも届くことを重視した演奏とセットリスト。ライヴ初披露となった「WHY DON’T WE MAKE YOU HAPPY」もしっかり幸せな気持ちを届けてくれた。演奏の合間にはオーディエンスとの距離を縮めるためオーディエンスと直接コミュニケーションを取るコーナーもあった。「電気イルカ奇妙ナ嗜好」では会場内をサンタクロースが練り歩きオーディエンスにクリスマスプレゼントを届けた。
東日本大震災から2年半強のタイミングで行われたGLAYのいろいろな想いがこもったこのアコースティックライヴの映像は、時空を越え多くの人に温もりを届けられるGLAYからの素敵なプレゼントだ。
それともう1つ、この日の演奏でGLAYというバンドの音楽性の懐の深さが実感できる。アコースティックライヴということで「LOVE SLAVE」「ROCK ICON」といったロックナンバーがエスニック調にリアレンジされている。さらに「MIKI PIANO」ではTAKUROがピアノを演奏するのもあって、この3曲の演奏の印象はザ・ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』時代のサイケデリックなものと重なる。あるいは、90年代のジェリー・フィッシュ、2000年代でいうとTEMPLESといったバンドのサウンドと重なる。ただ、こうした音楽の潮流は日本のチャートシーンではほとんど見受けられないだけに、こういう音をGLAYが出すことは意味のあることだし、GLAYの音楽人としての懐の深さに感心してしまう。もし、あなたの周りに洋楽しか聴かない友人、家族などいたら、この映像を見せつけやってください。「ほほぉー」ってなると思います。
それと、このステージも、この映像も佐久間氏は目にする前に天国に逝かれたんだと思います。GLAYを育てた佐久間氏もGLAYの音楽人としての成長を証明しているこの映像を天国で観てきっと喜んでいられるんだろうなぁ。いろんな意味でGLAYからの素敵なプレゼントです。


<あとがき>
この3つの厳選されたステージの映像作品を観て改めて感じたことがある。
GLAYファンの方々には馴染みのないバンド名かもしれないが、僕が初めて海外でライヴを観た先述のGREATFUL DEADというバンド。そのGREATFUL DEADとGLAYの存在がどこかで重なる。
GREATFUL DEADの詳細はここでは割愛するが、DEADを愛するファンはDEAD HEADSと呼ばれ、DEADというバンドを中心に独特のコミュニティを築いてきた。
またDEADはライヴでサウンドウォールといった巨大音響システムを使用したり、自らの音楽を広げるためにライヴで録音自由のエリアを設け、ライヴ音源をファンに録音させそれを無料で配布することを許可するという、フリーコンテンツのオリジナルをつくったバンドとしても知られている。
更に、60年代後半にサンフランシスコから出てきたこのバンドは、ベトナム戦争反対、LOVE&PEACSを叫ぶヒッピー達のマインドを支えてきた。
時代も国も違うのでDEADとGLAYを比較することには無理があるが、それでもどこか共通した部分を感じずにはいられない(でしょ?)。
そんなDEADファンが口にするセリフがある。政治が混迷したとき、時代が混迷したとき、人生で新しい道を模索しているとき、DEADファンは「困った時はDEADに学べ」と口にし実践してきた。21世紀の日本も、残念ながら問題が山積みだ。そんなたいそうな話じゃなくても、学校生活も、会社も、子育ても大変なことの連続でなんとかしたいと思う日々。そんな人にはこう言おう、「困った時はGLAYに学べ」と。その言葉が嘘じゃないことをこの映像作品は証明してくれている。過去を集めた映像だが、これから我々が進むべき時代、人生のガイディングライトになってくれていると思う。

さて、最後になりましたが、GLAYのメンバーの皆さん、スタッフの皆さん、20周年おめでとうございます。これからもこの映像作品が嘘にならぬよう、素敵なバンドでいてください。
もちろんファンのみなさんも!こんな素敵なGLAYのファンでいることに恥じぬよう、嘘のない人生を生きてください。それでも、もし困難にぶち当たったら、GLAYのライヴへ足を運んでください。そう、困った時はGLAYに学べ!