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Vol.65 TAKURO WEBインタビュー

TERUの歌が導いてくれた「あなたといきてゆく」
「あなた」は「あなた」だけではないと、
今なら説得力を纏わせ、伝えることができると思った

7月12日に発売し、オリコンアルバムランキングの1位を獲得した14thアルバム『SUMMERDELICS』(※1)を引っ提げての同名のアリーナツアーを敢行中の4人。そんな中11月22日にシングル「WINTERDELICS.EP~あなたといきてゆく~」(※2)を発売。夏をテーマにしたアルバムを、ライヴでファンに届けているうちに季節は秋に変わり、冬へと突入し、熱さから今度は温かさが恋しくなってきた今、4人からのプレゼントだ。『SUMMERDELICS』はライヴでどう変化したのか、そして極上のバラード「あなたといきてゆく」について、さらに今回のアリーナツアーについて、4人に語ってもらった。4人が考える“GLAYの現在地”とは?


「あなたといきてゆく」は、当初『SUMMERDELICS』に収録される予定でした。

TAKURO:ギリギリになって外しました。夏がテーマのアルバムという事と、この曲を入れてバランスを取ろうとするとブレるなと思ったので。先行シングルという話もあったし、もちろんアルバムに入れる可能性もあったし、来年出そうかという話も出ました。でもライヴで演奏した時、『SUMMERDELICS』を聴いてファンになってくれた新しいお客さんには、GLAYってこういうバンドなんだと思ってもらえて、90年代からのファンの人は「王道だよね」と感じてもらえて、すごくバランスが良かったんです。だから、音源は瑞々しいうちに出したほうがいいと思い、イレギュラーだけど11月に出そうという事になりました。もちろん、春の『GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2016 “Supernova”』(※3)から演奏していたので、ある意味手応えもありました。もちろんカップリングのバラードたちも、この季節にはぴったりで、なかなかいいEPになったんじゃないかなと。

夏には夏のアルバムを、そして冬には冬の温かいバラードをと、季節感大切にしているんですね。

TAKURO:そうですね、昔はシーン全体がもっとそういう感じでしたよね。このツアーも国内のラスト2公演は函館でやろうというアイディアが出てきて、この曲を函館で聴いてもらうと、GLAYというバンドを一番理解してもらえるのでは、と思いました。東京で長年曲を書いていて、ある時それは自分にとってのベストではないなと思い始めて、函館に仕事場を作りました。詞を書く時とか、着想を得る時は、割と函館に戻って作業しています。やっぱり四季がはっきりした環境で育ったからこそのメロディ、歌詞だと思うので。そういう意味では曲作りがより楽しくなったというか、より心弾む作業になったというか。東京に出てきて20年近く経ち、函館で過ごした時間よりも長くなりましたが、俺のモノ作りの原点は、あの町にあるんだなあと改めて強く感じています。「あなたといきてゆく」も、そういう想いの中で作っていったものなので、メンバーもしっくりきていると思うし、自然に演奏できたんじゃないかなと。

確かに「あなたといきてゆく」を聴いていると、個人的に何度か行った事がある函館の風景を思い出します。

TAKURO:4人で盛り上がる共通の話題といえば、やっぱり函館時代の話ということもあって、それが曲にも出てくるのかもしれません。今回のレコーディングでTERUの歌を聴いていて、詞にもある、「秋の黄昏」の向こうに見えるものは、函館の風景だったし、思えば人生の黄昏時は、俺にとっては「秋の黄昏」の風景に重なる部分があって。俺は生まれた時にはもうおじいちゃんはいなかったけれど、周りの人たちからは亡くなった人達を星に例えて子供の頃教えてくれた事を思い出しました。おじいちゃん、もっと前の祖先、父親から自分は色々と引き継ぎ、受け継いだ上で生きているんだなと思うと、元々「あなたといきてゆく」は「私」と「あなた」の物語だったのが、TERUの歌を聴いて、この「あなた」というのは「あなた」と「私」だけではないんだなあ、上の世代、下の世代も含めた色々な人、「あなた」なんだと思いました。それで俺はこれを表現したかったんだと気づいて、「あなた」に祖父、祖母、母、父という漢字を当てていきました。それはTERUも同じ気持ちだったのかもしれません。

導かれるように書いた曲ともいえますね。

TAKURO:20年くらい前から「冬のプロポーズ」というタイトルであった曲です。

20年前というと、結婚ソングの名曲「ずっと2人で…」(※4)も95年の作品です。

TAKURO:「ずっと2人で…」は17歳の時書いた曲で、厳密にいうとTERUのお姉さんの結婚式のために書いた曲です。

有名なエピソードですよね(笑)。

TAKURO:当然、その後この曲を聴いてくれる多くの人の事を想像できる器もなく、「あなたといきてゆく」に関しても、それこそ「HOWEVER」(※5)などの、ライバルのようなメロディ達がたくさんある中、いつも「出すのは今じゃないな」とか、<年が明けたら結婚しようよ>という強烈なひと言から始まってしまうので、これを歌うにはバンドとしての相当の覚悟がないと伝わらないと思っていました。もう少し距離が狭いバラードというか、「あなた」と「私」の物語に終始している方が、世の中との親和性が高いんじゃないかとか、まだビジュアル然としていたロックバンドが、自分の父母の世代までの事を歌うためには説得力をどう持たせるのかが、自分達の中での命題だったので、まだだなと思い、なかなかリリースできませんでした。自分も家族を持って、充分にその覚悟は備わったなと思って、一年くらい前に最後にBメロを足して完成させました。本当に長く寝かせたなと思います。

TAKUROさんの中でそういうメロディの欠片、言葉の欠片は今もたくさんあるんですか?

TAKURO:ありますよ。今でも寝る前に10分くらいは必ず曲を書くようにしています。この習慣はもう何十年も続いていて、もちろん酔っ払っている時は歌詞一行という時もあるし、ノッている時は4小節くらいできる事もあるし。いつか曲が書けなくなる日が来るのは怖いなと思って始めましたが、どうやらこの仕事が向いてるみたいで(笑)、今のところ曲を書く事に困ったことがないです。この曲がイコール自分そのままかと言われると、俺は答えを持っていなくて。でも間違いなく80年代、青春時代を北海道という場所で過ごして、そこで色々な音楽に出会って、夢を追い求めて東京に行って、また東京で色々な人に出会い、そんなバンドだからこその歌だという感じがしています。それが自分達らしいというか、自分達にしかできない作品というか商品というか。例えば90年代は「生きてく強さ」(※6)「グロリアス」(※7)などから始まって、コード練習本の最初にあるようなメジャーなコードでたくさん曲を作って、そのある種の到達点が「HOWEVER」で、その後は自分の気に入ったコード進行で、自分のメロディをどこまで高められるかという事を、10年間くらい模索して。90年代 と00年代のコード進行の果てみたいなものを探していて見つけたのが、「あなたといきてゆく」のような気がします。イントロのコード進行の♭9を入れるのも、前だったら絶対に入れなかったし、もっと耳障りの良いものを入れたと思うし、でも40代半ばになって人生色々割り切れないもの、憤るものを含めて生きていくんだなと思った事が、そういうところにも表れてきていると思います。

美しいメロディとダイナミックな構成のバラードが、GLAYのひとつの代名詞になっていて、ファンの人が「待っていた」曲を提示してきた感じがします。

TAKURO:ここ10年くらい自分の仕事のひとつとして、GLAYとしてHISASHIの才能の面白さを世の中に正しく伝えるという大命題がありました。それができないなら、この10年TAKUROのマンネリメロディでどこまで勝負できるのかが自分でも疑問だったし、自分としてその作品には一点の曇りもないけど、受け取る側としてはどうだろうという思いがずっとありました。それがあってGLAYはもっと面白いバンドなんだという事を主張したくて、G4プロジェクトをスタートさせました。5年くらい前からはHISASHIの興味があるネットやサブカルの世界といった、ある意味ダークな世界を、少しずつGLAYに反映させてもらいながら、そこでの親和性を高めて、GLAYの王道メロディは50枚目のシングル「BLEEZE~G4・III~」(※8)くらいからTERUに任せて。俺としては「百花繚乱」(51thシングル)(※9)に代表されるような、ギターが面白い、ギターバンドとしてのアイデンティティの最高潮じゃないけれど、そっちの方に力を注いでいました。結果『G4・IV』(※10)がランキングの1位を獲る事ができて手応えを感じ、バンドが今やりたいことが世の中に伝わったかなと。それもあって、今回のツアーのHISASHI色の強さたるや……。

武道館公演を観させていただきましたが、アルバム同様HISASHIさんワールドが炸裂していました。

TAKURO:もっていくなぁあいつ、みたいな(笑)。皆さんに書いていただいたアンケートでもそういうコメントが多かったし、バンドとしては狙ったところに球が当たった、してやったり感がすごくある。でもそんな中で、やっぱり日本全国を回ってもう何十年もになりますけど、それを良しとする人ばかりでもないなと感じていて。もちろん保守的な人達が多い土地もあるし、HISASHIのトリッキーなセンスに喜びを見出せる人たちが、その中にはたしてどれくらいいるのかわからないので、このタイミングでいわゆる王道と呼ばれているタイプの「あなたといきてゆく」を出せた事はよかったと思う。メンバー全員がここまで早く『SUMMERDELICS』にシフトでき世界観を構築できたことで、もう一回自分のメロディを世に出しても、『SUMMERDELICS』が醸し出す感じは失われないだろうと思って、11月にリリースしようと決めました。

今回のアルバムで、また確実に前に進めたという手応えがあったからこその「あなたといきてゆく」という感覚でしょうか。

TAKURO:そうですね、メンバーの才能にちゃんと注目することで、メンバーも自分自身も含めて、責任感とか覚悟がますます出てきたと思うし。それが備わったとき、バンドはより強くなると思うので、例えばコンピュータの同期を減らしたり、ピアノに頼らないで音を作るのはどうしたらいいかとか、4人で顔を突き合わせて考えるという、バンド本来の姿を取り戻したかった。そこを失くしかけていたという感じではないけれど、やっぱりどこか誰かに頼っていた部分も否めないし、でも世の中がメンバー一人ひとりの才能に注目する事で、それぞれの中にまた新たな規律と責任感が生まれるだろうし、個人のビルドアップがバンドとして一番必要なものです。TERUが「あと10年、20年やるのであれば全員がGLAYの看板の背負う、自分がGLAYの名前を背負うんだ」という気持ちが必要だとここ10年位言っていて、そういう意味ではHISASHIは充分に果たしてくれたと思うし、少しやりすぎかなと思うし、今となっては(笑)。

伝統と革新性がしっかりかみ合っている印象があります。

TAKURO:もちろんGLAY自体が劇的な変化を遂げているわけではなく、ただアングルを変えただけかもしれないけど、世の中的な動きの速さに、どこまで付き合っていくのかはどのアーティストも悩みどころだと思います。でもGLAYはありがたいことにもう10年後をイメージしながら、活動の枠組を組み立てられていて、ひいてはそれぞれの人生を、自分が思った通りにデザインして欲しいと常々思っていて、それが叶う稀有なバンドだと思っています。もちろん一年一年が勝負で、10年経って振り返ったときに、2017年はこうだったと強烈な記憶として残していかないと、何となくツアーやったねとか、ベスト的な内容だったねというライヴを続けていても、バンドは前に進めないです。

改めて、ツアー初日、あの曲達、世界観を初めて人前に示した時の反応はいかがでしたか?

TAKURO:もちろん喜びと戸惑い両方だったけど、そうでなければいけないし。さっきもちょっと出ましたけど、文化の交流が激しい都市だと、これを面白がるけれども、そうでない地方、場所に関しては、「前のGLAYがよかった」という声が大きいと思うので、どう今の自分達の志を理解してもらうかが、次の課題になるだろうなという予感がしたツアー前半戦でした。映像に関しても、本当にある意味そこまで深くえぐるかという感じで、これに関してもHISASHIは、世の中ってこういったグロいもの、エロい世界もある、ナンセンスなものもあるんだ、でもそこに意味を見つけるのは、受け手側のあなた達なんだという、彼なりの世の中に問う姿勢を強烈に示していて。なんだかんだでこいつが一番ロックかもしれないなと思う。それはどこかいつもギリギリでやりたいことを優先するというか、自分の生き様を世に問うというか、それで否定されても構いません、わかってくれる人だけわかってくれればいいんだという覚悟がある。ミュージシャンが一番言ってはいけないセリフを、彼はいつも懐に隠している。俺だったら、自分のやりたいことも全部やって、相手のやりたいことも全部飲み込んでこそ、という考え方が強いかもしれないけど、それは俺が知っているロック的な姿勢ではないし、彼の方が断然俺の憧れるロックの姿勢を持っています。

長く支持されてきたバンド、アーティストは、変わらない強さと変わる勇気が必要だと思いますが、HISASHIさんが実はそこを一番実践している感じでしょうか?

TAKURO:HISASHIは「最終的にはI don’t careと言えるかどうか」ってよく言うしね(笑)。どうでもいい、知らないって。自分がいいと思ったものをやりたい、それはとっても頼もしいですよね。実はGLAYはそういう反応をずっと欲しがっていた気もするし、TAKUROメロディ主導の時は、特にその感じが顕著だったのではないでしょうか。それは実は自分の中ではひとつの焦りでもあったし。I don’t careも言えない、だけど世の中の望むものもわかった試しもない、かといって変化球すぎるものを書いてコケたときの恥ずかしさたるや、というのを経験しているし。だからこそ、「シン・ゾンビ」(※11)のような、ああいう彼の初期衝動に忠実な音楽を聴くと、彼は名作と思っていないみたいですが、俺にとっては本当にここ何年かで一番グサッときた曲なんです。俺たち本当は高校時代こんな感じだったよなって、いつからか変わっていたんだなというのを気づかせてくれました。

TAKUROさんにとっても非常に影響を受けたアルバムでもあるし、今ツアー中ですが、ずっと影響を受け続けているという感じですか?

TAKURO:そうですね、JIROが書いた「SUMMERDELICS」があったからこその、このタイトル、ライヴの世界だから。実際ライヴでやっていて一番楽しくて、手応えを感じているのは「SUMMERDELICS」だし、そのセッション感とか、世の中にある音楽の定石でない展開はワクワクします。

改めてGLAYというバンドは絶妙なバランスというか、役割分担が明確、的確だなと思います。

TAKURO:そうなんです。だからデビュー以来自分はGLAYで何で貢献できるのか、GLAYという場所でどう輝けるかを、4人が4人とも模索しているのだと思います。当然俺はHISASHIのようにギター弾けないし、TERUも言っていましたけど、自分はGLAYのボーカルという以外何ができるんだろうという事を、しばらく悩んだという話をしていて、歌を歌う事でいいんじゃないのって思うんだけれど、それは他の人が思うことであり、本人としては歌を歌うの当然、俺らがギター弾くのは当然みたいな感覚みたいで。だけどプラスαで何ができるのかという事を考え続けたという話をしていました。それも結局相手がやらないことを勉強して、自分のジャンルとして確立しようという意識がデビュー以来ずっとあったのだと思います、特にボーカル以外の3人は。

前回、アルバム『SUMMERDELICS』についてのインタビューの時、TAKUROさんの「GLAYを始めた時の楽しさが、今も続いている」という言葉が印象的でしたが、今回のライヴではコピーをやったり、まさに楽しんでますよね。

TAKURO:ロックバンドって、ギターが歪んでいるとかヘビーだとか、歌詞がどれくらい攻撃的かというよりは、バンドを組んだ時の衝動をどれくらいの純度を持ってキープし続けられるか、という事しかないと思う。曲が円熟味を増すとかプレイがどうとかって、ロックバンドに関してはどうでもよくて、演奏が下手くそでも、曲が幼稚でも構わないけれども、時代を貫く何かがあるとしたら、それはバンドをやろうと思った時の初期衝動しかないと思う。それが70歳超えても続いているローリングストーンズ(※12)はやっぱりすごいなと。あんまりものわかりよくやっていてもダメなんだと、世の中のGLAYのイメージを背負ってやるという事は、実はというか、本当に自分の心からの衝動を持ってやらないと、逆に聴き手に失礼だしマナー違反なんだなと、『SUMMERDELICS』をリリースして以降強く感じます。

メンバーが楽しみながら作って、楽しそうにライヴをやっている姿を観るのが、ファンは一番嬉しいですよね。

TAKURO:今回のツアーはX JAPAN(※13)やBOØWY(※14)のコピーもやっていて、なんで俺1万人の前でX JAPANのコピーバンドやっているんだろうと思うんだけど(笑)、でもやっぱり面白いですよね。 自分には到底思いつかないBOØWYの「マリオネット」のリフを、HISASHIが布袋寅泰さんとして弾いているのを聴いて、やっぱりこれなんだよなロックバンドのエネルギーの源はって思いました。「俺達GLAYだよ、こんなキャリアのあるバンドが、人のコピーとかやめようぜ!」っていうやつが、メンバーに誰もいないのが不思議で仕方ない(笑)。しかもTERUはちゃんとTOSHIさんと氷室京介さんに寄せていくみたいな(笑)。みんなでスタジオで、自分達の曲より一生懸命練習しました(笑)。

GLAYの初期衝動がより鮮明に表れているという意味で、TAKUROさんは『SUMMERDELICS』というアルバムを“第二のデビューアルバム”のようだとおっしゃっていましたが、ツアーが始まって、その想いはさらに強くなっている感じですか?

TAKURO:そうですね。本来自分が理想とするバンドは、4人4様のキャラクターがあって、それぞれが自分の人生を思いっきり謳歌している時に、その思いがちゃんと乗ったメロディや詞を飲み込めるバンドでありたいと思っていたので、まさに今回のアルバムが理想のバランスを持つデビューアルバムという感じです。いくつになっても、もっとうまくなりたい、前に進み続けたいという気持ちを全員が持っているからこそ、このアルバムができたのだと思います。

結成30年で、第二のデビューアルバムだと言えるものを作る事ができる底力を感じました。

TAKURO:実は自分も驚いていて、まさか高校時代、隣のクラスをのぞきに行くと、ポツンと一人で座っていたHISASHI 少年が、まさか『関ジャム 完全燃SHOW』(※15)に一人で堂々と出るようになるとは(笑)。俺なら関ジャニの前でギター弾けないですもん(笑)。あれを観て、これは自分の人生を賭けてでも世の中に伝える才能だなと改めて思いました。

さて今がまさに充実の時を迎えているGLAYですが、来年は何をやってくれるのでしょうか?

TAKURO:3月に台湾を始めとするアジアツアーを考えている事と、まだ全然決まっていないんですけど、夏に単発だけど野外ライヴを日本各地でやりたいなと。TERUもこの前MCで「来年もGLAYは休みません」って言っていましたが、25周年の事はなんとなく決まってきていますが、それまでのGLAYの動きがまだつかみきれず、でもいつ何を言い出すかわからないので、スタッフはいつでも対応できるよう、準備を始めていますね(笑)。

※1:『SUMMERDELICS』
前作より2年8ヶ月ぶりとなるGLAYにとって14枚目のオリジナルアルバム。2017年7月12日(水)発売。7月24日付けオリコン週間CDアルバムランキングで1位を獲得した。CD Only盤(¥3000+税)、CD+2DVD盤(¥5000+税)、5CD+3Blue-ray+グッズ盤(初回生産限定・豪華BOX仕様のG-DIRECT限定Special Edition ¥22,963+税)の3つのバージョンが発売された。

※2:「WINTERDELICS.EP~あなたといきてゆく~」
GLAY 55thシングル。2017年11月22日(水)発売。CD Only盤(¥1200+税)、CD+DVD盤(¥2000+税)の2つのバージョンが発売された。リード曲「あなたといきてゆく」はTAKURO作詞・作曲のバラード曲で、テレビ東京系列金曜8時のドラマ『ユニバーサル広告社~あなたの人生、売り込みます!~』主題歌。

※3:『GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2016 “Supernova”』
2016年1月28日(木)大阪・オリックス劇場~4月24日(日)日本武道館の期間で行われたホールツアー。

※4:「ずっと2人で…」
TERUの姉の結婚式のためにTAKUROが書き下ろしたバラード。1995年3月1日発売の1stアルバム「SPEED POP」収録。同年5月、5thシングル「ずっと2人で…/GONE WITH THE WIND」としてリリースされた。

※5:「HOWEVER」
1997年8月6日リリース、12thシングルにしてGLAYにとっては初のミリオンセラーとなった代表曲。

※6:「生きてく強さ」
1995年11月8日リリースの7thシングル。力強い歌詞で、ライブでも演奏される機会が多く、観客とともにシンガロングするTERUの姿が印象的。

※7:「グロリアス」
1996年1月17日リリースの8thシングル。ヴィクトリアのCMソングに起用され、シングルとしては初のオリコントップ10入りを果たした初期の代表曲。

※8:「BLEEZE~G4・III~」
デビュー20周年記念となる2014年にリリースした50thシングル。メンバー4人それぞれが書き下ろした楽曲を収録。「BLEEZE」(TERU)、「外灘SAPPHIRE」(TAKURO)、「黒く塗れ!」(HISASHI)、「YOU」(JIRO)を収録。

※9:「百花繚乱」
デビュー20周年記念第2弾となる51thシングル。「百花繚乱」はTAKURO作詞・作曲。

※10:『G4・Ⅳ』
2016年1月26日リリースの53thシングル。メンバーがそれぞれ楽曲を書き下ろすG4シリーズ第4弾。「彼女はゾンビ」(HISASHI)、「Scoop」(TAKURO作詞・JIRO作曲)、「Supernova Express 2016」(TAKURO)、「空が青空であるために」(TERU)収録。

※11:「シン・ゾンビ」
『G4・IV』収録のHISASHI作詞・作曲の楽曲「彼女はゾンビ」をもとにアップデートされた。14thアルバム『SUMMERDELICS』収録。ゲーム「太鼓の達人」タイアップソングで、ドンちゃんの声優ならはしみきも参加している。

※12:ローリングストーンズ
ロックの代名詞とも言える世界的バンド。1962年にイギリス・ロンドンで結成され、以来、半世紀以上にわたって、一度も解散することなく活動を続ける。

※13:X JAPAN
YOSHIKI(Drum・Piano)、Toshl(Vocal)、PATA(Guitar)、HEATH(Bass)、SUGIZO(Guitar・Violin)、HIDE(Guitar・故)、TAIJI(Bass・故)からなるヴィジュアル系ロックバンド。1989年にXとしてメジャーデビューし、1992年にX JAPANに改名。1997年9月22日に解散を発表し、同年12月31日にラストステージで活動を終了。2007年10月22日に再結成。

※14:BOØWY
氷室京介(Vocal)、 布袋寅泰(Guitar) 松井恒松(Bass) 高橋まこと(Drum)からなる日本のロックバンド。1981年結成、1987年解散を発表。2006年8月2日にGLAY feat. KYOSUKE HIMUROとしてシングル「ANSWER」をリリース。

※15:『関ジャム 完全燃SHOW』
関ジャニ∞の音楽バラエティ番組。関ジャニ∞が毎回様々なアーティストをゲストに迎え、一夜限りのジャムセッションやトークを繰り広げる音楽バラエティー番組。HISASHIは2017年6月11日、佐橋佳幸、MIYAVIとともに出演。